J32・・・神武三十一年の巡幸・・・
時は過ぎ行き、辛卯(かのとう)の年、夏4月1日に、
天皇は、国の巡幸をされました。
腋上(わきがみ)の嗛間丘(ほほまのおか)に登られて、
国の形を話されました。
「なんと素晴らしい国を得たことか。
狭いながらも美しい。
蜻蛉(あきづ)が臀呫(となめ)しているように、
トンボが交尾しているように、
山々が連なって見えるなあ。」
これによって、秋津洲(あきづしま)の名がつきました。
解説・・・
辛卯(かのとう)は、紀元前630年です。
腋上(わきがみ)は、南葛城郡掖上村、今の御所市の東北付近。
J33・・・イザナキの言葉・・・
そういえば、神代の昔、イザナキが、言われたそうです。
「浦安(うらやす)の国、即ち、心安らぐ国、
細矛(くわしほこ)の千足(ちだ)る国、即ち、武器の多い国、
磯輪上(しわかみ)の秀真(ほつま)の国、即ち、良く整った国」
それから、やはり、神代の昔、オオアナムチが、言われたそうです。
「これは、玉垣の内つ国、即ち、垣根のような山が囲む国」
また、近い昔、ニギハヤヒは、
天磐船(あまのいわふね)で、大空を駆け巡り、
空から眺めて、言われたそうです。
「虚空(そら)見つ日本(やまと)の国、
即ち、空から見ると美しい日本の国」
J34・・・太子(ひつぎのみこ)の選定・・・
時は過ぎ行き、神武42年、
壬寅(みずのえとら)の年、春正月3日に、
カムヌナカワミミを、皇太子に指名しました。勿論創作です。
解説・・・
壬寅(みずのえとら)は、紀元前619年です。
J35・・・神武天皇崩御・・・
時は過ぎ行き、神武76年春3月11日に、
神武天皇は、崩御されました。
御歳(おんとし)127歳でした。
翌年の9月12日に、畝傍(うねび)山の東北に葬られました。
解説・・・
神武76年は、紀元前585年です。
畝傍(うねび)山の東北は、橿原市大字洞字ミサンサイです。
本当のところは、よく分りません。
何せ、江戸時代の末ころまで、誰も関心がなかったのですから。
それが、尊王思想の国学者によって、俄に関心が高まったのが、
江戸時代末期のことですから。
以上で終わります。