J10・・・稲飯と三毛入野の死・・・
6月23日に、名草戸畔(ナクサトベ)が抵抗したので、殲滅しました。
その後、佐野を越えて、神邑(みわのむら)に至り、
天磐盾(あまのいわたて)に登りました。
更に軍勢は進み、
海を渡る時、にわかに嵐に遭遇し、舟は激しく揺れました。
稲飯(イナヒ)が、嘆き申しました。
「ああ、父上は天つ神で、母は海の神、それなのに、
どうして陸に悩まされ、海で苦しめられるのか」
そして剣を抜いて、海に沈み、鋤持神(サヒモチノカミ)と、なられました。
更に、三毛入野(ミケイリノ)も、暴風を恨んで申しました。
「我らの母も、叔母さえも、海神(わたつみ)の娘、それなのに、
どうして我を溺れさすのだ」
そして波の穂を踏み抜いて、常世国(とこよのくに)に、去られました。
解説・・・
この辺りは、日本書紀だけです。
名草は、和歌山市西南に、名草山があります。
佐野は、和歌山県新宮市内です。
神邑(みわのむら)は、新宮市の熊野速玉神社の地、
天磐盾(あまのいわたて)は、新宮市の神倉山です。
しかし、話の順序が、どうも、おかしいです。。
和歌山から熊野までを、海を行くなら、分りますが、
新宮で一旦、上陸してから、
また熊野まで、海を行くなんて、おかしいです。
私は、海を渡るのは、名草と佐野との間だと思います。
鋤持神(サヒモチノカミ)は、古事記では、山幸帰還の時に、
一尋ワニに与えた名前となっています。
古事記では、次男のイナヒ、及び三男のミケヌは、
ウガヤの子供の説明の時に、死んだことが書いてあります。
表現は日本書紀と同じ死に方です。
日本書紀の、この場所の方が、説明として適切な感じがします。