J5・・・東征出発・・・
その年の冬、10月5日に、東征の旅に出発しました。
速吸之門(はやすいのと)に来た時に、
一人の海人(あま)の舟に会いました。
珍彦(ウヅヒコ)と名乗りました。
神武は、海の道案内として、家来にしました。
椎根津彦(シイネツヒコ)と名を与えました。
倭直(やまとのあたい)の始祖です。
解説・・・
速吸之門(はやすいのと)は、今の豊予海峡です。
古事記は、もっと後の吉備の次に、この話があります。
日本書紀の方が、良いとされています。
J6・・・宇佐など滞在・・・
宇佐にお着きになり、足一柱騰(あしひとつあがりの)宮にて、
宇佐津彦(ウサツヒコ)と宇佐津姫(ウサツヒメ)の歓待を受けました。
この時、神武は、ウサツ姫と天種子(アマノタネノコ)を夫婦にしました。
アマノタネノコは中臣氏(なかとみのうじ)の祖先です。
11月9日に、筑紫国(つくしのくに)の
岡水門(おかのみなと)に到着しました。
12月27日に、安芸国(あきのくに)の
埃宮(えのみや)に到着しました。
翌年、乙卯(きのとう)の年、春三月、吉備国(きびのくに)に入りました。
神武は、ここで高嶋宮(たかしまのみや)を造り、
じっくり三年かけ、舟や食糧の準備をしました。
解説・・・
基本的には、日本書紀も、古事記と、ほぼ同じストーリーです。
天種子の話は、日本書紀だけです。
滞在時間が、書紀と古事記とでは、かなり違います。
古事記は、岡田宮に一年、多ケ理宮に七年、高島宮に八年と随分長く、
書紀は上記の通り、3年4ヶ月くらいで、短いです。
日本書紀の埃宮(えのみや)も、古事記の多ケ理宮も、
どちらも「優れた」と言う意味で、古書に「優宮」とでもあったのを、
読み方が分らず、それぞれの当て字を使ったものと思われます。
乙卯(きのとう)の年とは、紀元前666年のことです。