みやざきWEBチャンネル TOP ≫
航宙日誌 ≫ 思うところ
Archives
This is the archive for July 2007
車の距離計が14万キロを超えたのだが、144768と表示した。
ついつい、いっちょんちょん、ちーろんぱと声を出してしまった。
そうか、こういう言葉、今は聞かれないよな。
そういえば、モデムが4800bpsになったときヨンパチ、9600bpsはクンロクだった。メモリはイチニッパ、ニゴロは普通といえば普通だが、チーロンパは最初聞いたときは何語?という感じだったのを覚えている。
とはいえ、最近の業界用語にはうといと思う。
業界用語というか2ch言葉なんていうのがあって、これがけっこう難解。
orzはずっと擬音語か擬態語かと思っていた。
Wikipediaにはorzは登録されている。http://ja.wikipedia.org/wiki/Orz
orzは失意体前屈というのだそうだ。
日経産業新聞の7月13日版に、このタイトルのコラムがあった。
なんと、世界に7000万以上のブログがあるらしいのだが、日本語のブログは37%で英語の36%を抜いて世界一なんだそうだ。
計算すると世界に日本語のブログは2600万前後あることになり、日本のネット人口を8000万人超とすると3,4人に1人はブログを書いていることになる、らしい。
わたしは持論として、ブログは「消極的な自己主張」と言っている。
実は、見ている人を意識しているのに、自分の独り言のように自己主張をしているのだ。これってけっこう日本人の感覚では、と思うと、この記事当たっている!と思うのだが。
日経産業新聞の7月13日版に、このタイトルのコラムがあった。
なんと、世界に7000万以上のブログがあるらしいのだが、日本語のブログは37%で英語の36%を抜いて世界一なんだそうだ。
計算すると世界に日本語のブログは2600万前後あることになり、日本のネット人口を8000万人超とすると3,4人に1人はブログを書いていることになる、らしい。
わたしは持論として、ブログは「消極的な自己主張」と言っている。
実は、見ている人を意識しているのに、自分の独り言のように自己主張をしているのだ。これってけっこう日本人の感覚では、と思うと、この記事当たっている!と思うのだが。
今日はディーラーをいくつか回った。
昔のディーラーのイメージはない。
ほんとうに地味だ。さすがにボーナス時期。どこのディーラーもお客がいる。
それにしても営業マンの対応についてはほんとうに人によってばらつきがある。人材においてばらつきがあるのは当たり前といえば当たり前だが、車を決めるのに大きな要素になるのではないかと思っていたら、ある人に言われたが、最近は車種を決めてくる人がおおいのだそうだ。値引き交渉も少ないとも聞く。
車社会といいながら、これは?ということも多い。
ひとつは、一方通行の原付を除くという制限。
東京ではありえない話。一方通行と思って走っていると原付が逆走してくる。最初はまさか原付除くとは知らず怒っていた。
もうひとつは、時差式信号交差点が多いこと。
知らない人は相当混乱する。時差式はなくす方向と聞いていたが、どうなのだろう。
地元の人だけなら問題ないという感覚が基にあるのだろうか。
知事効果もあり、レンタカーを乗り回す活動的な観光客も増えている。地元だけのルールはまずいのではないだろうか。
近所のスーパーで発見。みな知っているのだろうか。
おそらく幼稚園の頃(昭和40年)くらいに、宮崎の祖父母の家に預けられていたときに、近所の食料品店(若山商店)の奥の棚に4,5個積んであった。
そういえば、たまごは金属のかごにいれて吊り下げてあったし、お菓子はガラスケースに入れてあった。手をつくな、割れるとよく怒られたなあ。
幼稚園生かその前の年、夕飯時のおかずはうま煮だった。鶏肉と野菜、こんにゃくが入っていたと思う。子供の僕はそれがきらい(たぶん、魚系の出汁がだめだったんだと思う)で、これじゃいやだとぐずった。
やさしい(孫に甘い)祖母は、おわんのうま煮をざるにあけ、水洗いをしたあと、それを小なべに入水を加えて煮立て、そこにこのカレールーを入れて、カレーを作ってくれた。
ところが、である。聞き分けの無い、わがままな僕は、まだ魚系の出汁のにおいのするカレーをまずくて食えない!とやったのだ。祖母の困った顔を今でも思い出す。と同時に祖父の平手が飛んできた。目の前に火花。「そんげなやつは食わんでいい!外に立っちょけ!」土間に立たされた僕はワーンと泣き出す。祖父が恐くておしっこをもらした。
そして祖父のげんこつが。「どこでしょんべんしよっとか!」
さらに泣き出す僕。でも祖母も祖父もほったらかしでご飯を食べている。
祖父は厳格だった。でも初孫である僕にはとてもよくしてくれた。青竹を材料に滑り台を作ってくれたり、藤棚にブランコを作ってくれたり。
田んぼの土を取ってきて、バケツの水に溶かして沈殿させると下に粘土ができ、それで遊ばせてくれた。蓄音機のエンジン部をどこかからか持ってきてくれてそれで遊ばせてくれた。
機関車を見に駅まで自転車に乗せて連れて行ってくれた。
祖母は幼稚園の親子行事が苦手だったようだ。確かに祖母だけ、年寄り。しかも農家なので真っ黒。おそらく他のお母さんたちは20代。祖母は50歳くらい。
もうその祖父母もとっくに鬼籍に。
カレーの箱で久しぶりに思い出した。
温暖化って、われわれが知らされている以上に進んでいるのでは?
思っていたらさらに上昇
|