飛び込み研修も終わり、正式に配属されましたが、すぐに、秋葉原で応販(応援販売)をするようになりました。というのも東芝が鳴り物入りで発売した8ビットパソコン「パソピア」はまったく売れず、在庫の山だったのです。秋葉原など主要な店舗で東芝の人間(工場からも来ていた)が店頭に応援販売に行くことになったのです。
自分も秋葉原の複数の店舗に派遣され、そこのユニフォームを着て、接客をします。東芝のパソコンを売るのが目的ですが、最終的にはお店の利益が一番というところがありました。したがって、自分自身、途中からシャープのMZシリーズをけっこう売ったという記憶があります。シャープの秋葉原の所長に表彰すると言われたこともあります。
この店頭経験は自分の人脈形成に大きな影響をもたらしました。また、小売業というものを体験できました。お客さんはほしいものを買いにくるのだ、ということを思い知らされました。東芝のパソコンをいくら勧めてもほしくない人には、他社のパソコンを魅力に思っている人には値段でも勝負できないというのがよくわかりました。
この当時のおつきあいをいまだにさせていただいている方もいます。みなさんけっこう量販店の幹部になっています。
秋葉原は大きく変化しました。最近は行く機会も減ってしまったのです。当時は秋葉原の食事をどこでするかというのは大問題でしたが、今はいろいろとできています。女性が多く歩いているのも当時はありえない光景です。
パンチパーマの店員と電卓、実演販売と遠巻きにするお客。
秋葉原の駅の改札でお客さんが持ち帰るパソコンがどこのなにかという駅頭調査というのもやりました。
今ではほんとうに懐かしい時代です。