古事記によれば、タケミカヅチに脅された大国主は、
「国を譲る代わりに、ここに立派な神社を建ててください。
そうすれば、私は、その中に永久に隠れましょう」という事で、
神社が建てられたと書いてあります。
これが、出雲大社創建神話です。
出雲大社は、古くは、杵築(きつき)大社と言います。
平安時代の延喜式神名帳(西暦927年)に書かれています。
明治4年(1871年)に、出雲大社と改称されました。
正式には、「いずも おおやしろ」と読むそうです。
拝礼の仕方が、一般の神社の二拝二拍手一拝と異なり、
出雲大社では、二拝四拍手一拝で拝礼します。
大国主と須勢理姫との話などから、縁結びの神として有名です。
平安時代に、源為憲(みなもとのためのり)と言う人が、
子供の教育用に、「口遊(くちあそび)」という数え歌を作りましたが、
その最初が、「雲太、和二、京三」でした。
雲太(うんた)は、出雲太郎で、出雲大社のことです。
和二(わに)は、大和次郎で、大和の東大寺大仏殿のことです。
京三(きょうさん)は、京三郎で、京都御所の大極殿のことです。
これにより、平安時代には、一番背の高い建物だったと言われています。
(但し、これは、神・仏・人の順で、背の高さの順ではない、と言う説もあります。)
いずれにせよ、背の高い立派な建物として有名であったことが、分ります。