宿泊するホテルは江南(ガンナム)地区の北側、漢江(ハンガン)にも近い場所にあるリバーサイドホテル。このホテルは今年になって大リニューアルしたところで、正直言うと、以前のイメージはあまりよろしくなかった。
地下にクラブ(ディスコ)があり、週末に限らず、大音響が漏れ若い男女が羽目を外し、ホテルのロビーを汚したり、喧嘩があったりという場所であったような気がする。私はここの3階にあったスポーツマッサージが好きでよく通っていたが、そのようなよろしくないシーンを見かけることも多かった。さらに、同じ3階に、同様の入り口で間違って入りそうな特定のマッサージがあった。その存在も風紀的な乱れにつながっていたのかもしれない。ロビー階のトイレの個室のカギはすべて壊されていた。誰かが蹴破ったのだろうか、足跡がドアについていた。
さて、リニューアルで見違えるほど変化していた。外壁は新しい素材で近未来的なイメージで一部をサイディング。フロント階もきれいに改装され、まつりという名の大きな日本風居酒屋があった。ここが朝食会場にもなるらしい。まん中に小川があるような庭園風の演出もある。
部屋も広くはないが改装されている。ただ、空調は乾燥が強く、若干難儀した。
ホテルにチェックインすると、その後会食予定だった団体KJITの窓口をしていただいたTOBESOFTの金さんが既に迎えに来てくれていた。キムさんは30代前半。結婚もしたばかり。TOBESOFTはKOSDAQに上場した会社だが、その上場支援業務で入社したらしい。
今回、KJITとの交流会は経済同友会としての視察を中止したためキャンセルとなったが、キムは時間を作ってくれた。一緒に食事をということで彼の案内で、近くのカルビチムの店へ。
カルビチムはカルビ肉を辛く煮込んだ鍋。紹介いただいた店は辛いので有名らしく、そこで一番辛くないものを選んだが、それでもかなり辛い。韓国人独特の宴会での礼儀をキムさんに紹介してもらった。ものを渡すときは必ず両手。右手に必ず左手を添える。遠ければ右腕の付け根に左手を持ってくる。名刺交換とかちょっとした手渡しのシーン、たとえばスパイスの瓶を取ってもらう時など、注意していると皆そのような作法をとる。片手でビールを注ぐことはあり得ない。(立場上、上の人からはありうる)
また、お酒を飲む際やタバコを吸う際は、上半身をひねり後ろを向いて飲んだり吸ったりする。これはホスト役の人が、前向いて飲みなさいと言ってくれれば前を向く場合もあるが、若い人などはずっとこれを続ける場合もあるようだ。
初対面ではあったが、彼の日本語も流ちょうで、楽しい会食となった。
二次会には明洞(ミョンドン)エリア近くの某所へ。こちらも楽しい一夜となった。
翌朝は昨夜大活躍だったT氏を除いて清渓川(チョンゲチョン)文化館へ。清渓川はソウルの江北地域のほぼ中央を東西に走る河川。ここを朝鮮戦争後に暗渠化し、その上に高速道路を造っていた。わたしがソウルに行き始めた頃は江南地区から明洞エリアに入るひとつの抜け道的な道であった記憶がある。当時のソウル市長(現在の李大統領)は、この高速道路をおよそ6kmに渡り撤去し、元の河川を復活させたのである。私が聞いた話では既にこの河川は涸れていて、下水の浄化したものを流しているらしい。一種の人工河川になるのだろうか。明洞の北側から復活した河川は一種のプロムナードとして新しい市民の憩いの場となっている。川幅は20mくらいだろうか、両側に遊歩道が造られ、階段状の劇場風シートがあったり、カップルが休めるようなベンチがあったりと多種多様である。噴水がいくつもあって、夜はライトアップされ、デートスポットとしても人気である。
この清渓川の過去から現在までを展示している清渓川文化館が明洞側とは反対側、河口側に設置されている。
この文化館前回、下見に行った際も、たいしたことあるまいと思っていた。ところが、4階建ての4階から始まる展示物は予想以上に面白いものであった。最初に壊す直前の道路やその周りの状況が説明されている。商店街が多かったようだが、いろいろと問題もあったようだ。高速道路の老朽化もあったのかもしれない。大きな模型やマッピングしたものは、おそらく都市計画中に造られた本物を持ってきていると見受けた。暗渠の中を再現したものも。そして暗渠になる前の姿や、さらに古代の清渓川を推定したジオラマなどがある、と盛りだくさんの展示。
清渓川は歴史と文化を語る川であり、同時に街づくり、街おこしとも絡む、よい事例ではないかと思う。
会館を出ると川沿いに戦後すぐのような建物が復元してあった。当時の住宅や店舗を再現している。川にせり出して建造されている。なんとなく懐かしいのはなぜだろうか。店舗には味の素ならぬ味元、雪印のマークを補足したミホ牛乳とかのマークが。粉ミルクや焼酎の瓶も時代を感じさせるものが並ぶ。日本でも昭和をテーマにした展示などがよく見かけられるが、韓国でも同じような感覚はあるらしい。
一旦、ホテルに戻り、ランチをとりながら講話をしてもらう予定だったS.S.Leeさんと合流。本来ならば彼のスペイン風ファーストフードで彼の経験談や韓国の経済、ビジネス動向を聞く予定であった。我々4人と彼とで、彼のメルセデスベンツS500のパワートレーンを搭載したSangYangのTwindragonという高級車で食事へ。クッスジョンゴルといううどん鍋。うどん鍋といっても高級な料理である。最初にスープを煮立て、そこに薄切りのきれいな牛肉と、ネギやゴマの葉などを入れ、ニンニクと唐辛子で味を調える。そこにそばのようなうどんを入れ、煮込んだものをとりわけて食べた。辛みや牛肉の出汁、ゴマの葉の風味があいまってとてもうまい。さらに残ったスープにご飯と卵を入れ、おじやを。これまた美味。
S.S.Leeさんとは英語で会話。最初はけっこう疲れたが、こちらはビールも入ったのでなんとなくみんななめらかに。
その後明洞へ。ロッテデパートの地下でキムチなどを購入。免税店ものぞく。どちらも日本人観光客の女性がたくさんいて、日本語ができる説明員や店員はひっぱりだこ。しかも商売熱心だ。免税店ではある店舗は並んでいて、入場制限をしていた。女性たちの目つきも少々怖い。目的があって綿密な計画がなされているようで、これを見たらあれ、あのブランドはどこ?というような油断ない行動を多く見かけた。
明洞からの帰りに、キムスクラブへ。ここは24時間スーパー。ここ数年、高級化したが、デパートや空港に比べると安い商品が多い。ラーメンやコチュジャン、海苔などを購入。時間帯もあってか、大渋滞で、ホテルに現地では戻るのに相当な時間を要した。空いていれば10分かからないのに30分ほど。ソウルの移動手段はタクシー、バス、地下鉄とあるが、バスは路線もわからないので乗ったことはない。地下鉄はなぜかけっこう時間がかかる。乗り換えの場所の駅名がなじまないこともあって敬遠気味。結局はタクシーになるのだが、日本語ができる運転手は少ない。模範タクシーという黒塗りにチェックの模様が入ったタクシーがあり、これは日本語もOKだが、料金が普通のタクシーの倍。また、運転手の態度も「模範」的ではないように思えて、自分としては敬遠気味。普通のタクシーに乗り、あらかじめ地名や行く先を書いたものを見せるのが一番。今回もホテルの日本語ができる人に行先の情報をハングルで書いてもらい、電話番号がある場合は電話をかけて代わってもらうことでけっこうスムーズであった。口頭で頼む時は、けっこう英語の発音は英語っぽいので、注意が必要。たとえば今回のホテルはリバーサイドホテルだが、発音的にはリバサイドホテェルで、「リ」にアクセントを置く。タクシーはテクシ、コーヒーはカピと発音する。
タクシーで移動する場合は、やはり混雑状況が問題となる。朝夕のラッシュ時、週末の日中はけっこう混んでいる。余裕を持って出かける必要がある。
ホテルでしばし休憩し、会食会場へ。梨泰院(イテウォン)の焼肉屋さんへ。昔から使っているところだが、焼き肉の味もいいし、カンジャンケジャンといった珍味もある。ビール、マッコリでおいしく焼肉をたいらげた。離れたところに日本人女性のグループがいた。彼女たちの食べっぷりは見事。カラオケのママが言っていたが、女性だけで焼肉というのはとても楽しいらしい、男性がいると食べ方とか食べる量に気兼ねがいると彼女は言う。なるほどと納得させられるシーンであった。
食事の後、東大門に行こうとタクシーに乗ったが、途中で気が変わり、再度明洞へ。夜の明洞はすごい混雑。人の波と言ってよいだろう。通りには物販の屋台が連なり、ブランドを勝手に配したデザインのダークな商品も売っている。この活気は東京でも見られないような気がするのはなぜか。高級店舗であろうが呼び込みが多い。化粧品にいたっては例外なくユニフォームを着た女の子が大声で招いている。日本語も聞こえる。「今BBクリーム買うとサンプルが7点付いてきます」などと言っている。実際、おみやげにBBクリームを1本買ったが、8,000ウオンで実際に並んでいる商品の保湿クリームをくれたし、小さいパッケージのサンプルはたくさん紙袋に投げ入れてくれた。
梨泰院に引き返し、カラオケへ。ここは個室もあるがステージのある大きなメインホールで歌う人が多い。もちろんボックス席がいくつかあって知らない人もいる。ここの店長以下数名の男子が一緒に踊ったり歌ってくれたりして盛り上げてくれる。盛り上げ方がうまいと、ほめるだけでなく、割り箸に10,000ウオンをはさんでチップとして進呈する。さらに彼らもがんばるという状況。とても楽しい店だ。店長は彼が前の店にいたころから知っている。
カツラや帽子、小道具もたくさんあり、手もとにある写真を見ると酔った勢いとはいえ、何をやっているのかと多少あきれるところだ。
感動のソウルの夜は最後となり、翌朝ホテル出発は13:00。時間があるのでCOEXモールへ行く。ここは見本市会場とホテル、ショッピングモールが一体となった施設で、モールには日曜日とあって若い人たちが大勢いる。早めの昼食をとろうと店を物色するが、なにを食べればよいか見当がつかない。われわれに日本人が知っているオーソドックスなものがないのだ。結局、鍋料理を出すような、カジュアルな料理屋に入ってみた。見回すと女性ばかり。隣は日本人の女性の親子のようだが、無視される感じ。これはハワイとかでも同じだが、日本人観光客同士はなぜこうも話かけないのか。エレベータでアメリカ人と乗り合わせ、彼らがハーイと言うとにっこりハーイと返すくせに、日本人同士だとひたすら無視して黙っていることが多い。私は割と話しかけることが多いのだが、ナンパか?みたいな変な目で見られることも多い。
鍋は海鮮と野菜の鍋というか辛味噌煮込みのようなもの。辛めだがうまかった。ご飯に合う。昼間から飲まないといいながらビールにも合った。
一旦、ホテルに戻り、送迎を待つ。時間の関係で送迎車は土産物屋には寄らないらしい。行きは有償で免税店立ち寄りをキャンセルしたが、こういうこともあるようだ。
空港までは約1時間。到着後チェックインもスムーズ。午前便とはずいぶん様子が違う。出国手続きも終え、宮崎組と熊本組はここで別れた。土産物を物色したあと、航空会社のラウンジで過ごす。
帰りの飛行機もほぼ満席。無事、宮崎空港に到着。宮崎組は到着ロビーで解散。自主参加ツアーの終了である。
同行のT氏、熊本組のY氏とW氏も今回のツアー企画を喜んでくれ楽しんでくれていたと思う。それがとてもうれしい。将来はツアー企画とガイドを商売にしようかとも思う。ラスベガスのK氏が思い出される。