昭和47年4月、大宮中学に入学。ここは後年柔道の井上康生氏の母校となる。
やんちゃな(少々ツッパリ気味)の3年間、中学3年から空手を習い始めた。
高校は県立宮崎大宮高校。ここは旧制宮崎中学で伝統のある学校。
バンカラな気風が残る学校であると同時に進学校。
地理研究部という文化部に入部。高校野球の応援、体育祭、学園祭とあっという間の3年間。空手も怪我をしたため、受験もあるからと親に止めさせられた。受験はたいへんだったけれども、なんとか名古屋大学に合格できた。
大学の選択は、志望する学部が文学部ということで、京都大学を狙っていた。中国文学に興味があり、京都にはその点で魅力のある学校であった。
高校時代、とくに3年生の時には文学少年気取りで、詩や小説を書いていた。書物も純文学を中心に読み、いろいろな人の文章読本を読み漁った。
東大も京都も受験科目が国語、英語、数学の3教科に社会2科目、理科2科目と理科と社会1科目ずつ余計に試験があった。学校では1科目ずつしか選択できないので、自習することになる。これはけっこうつらい受験勉強で、来年からは共通一次試験ということで、浪人は不利との考え方もあり、当時のランク付けで一ランク落とすことになったが、大阪大学、九州大学は地理の科目が合わず、東北大学が名古屋大学ということになった。仙台は遠いと父母に反対され、名古屋ということに。
名古屋についてはまったく知識がなかったし、想像もできなかったが、単純にここしかないかな、で受験。
わたしは国語が異常に得意で、偏差値が理論上はありえないらしいが140点とかあった。逆に数学が苦手。ところが名古屋大学は数学が難しいことで有名だったらしい。でもなんとか合格した。