出身学校を聞かれるときに、専攻を言うと一様にびっくりされます。文学部中国哲学科。いわゆる漢文読みというやつです。漢文といっても幅が広いのですが、教えてもらったというか教材にしたのは、史記、陽明学、礼記、論語などで、特に礼記はおもしろかったですね。礼記というのは四書五経のひとつで礼儀の書です。ごみが落ちていて人前で拾う場合にはたもとでごみとごみを拾う行為を隠しなさい、そうすれば他人が不快な思いをしないというものです。他にも授業の場合、先に来た人から前の席につめなさい、なぜなら、後からおくれて入ってきた人が前の席に着くと、講義の雰囲気が乱れるから、とか今でも為になる話は多く収容されています。こういうのもあります。兄嫁がおぼれていて助けを求めていたら、必ず棒切れを持ってそれで助けなさいと。なぜなら、手を直接触れ合うことによりただならぬ関係になる可能性があるということなのです。
学部に進み、中国哲学研究室に入りますが、ここは学年の定員5名に対し教授1名、助教授1名、助手1名、講師2名というぜいたくなところでした。しかもわたしの代は2名だけ。もうひとりが休むと1対1の講義となります。先生のひとりが京大出身の加地先生でしたが、わたしは加地先生の授業が面白くて中国哲学にのめりこみました。それでそのまま大学院に行こうと思いましたが、いかんせん能力的なものがついてこない。独断的に留年し、勉強して進学するつもりでした。
ところが、留年した途端、加地先生が大阪大学に転勤されることになったのです。また、加地先生もこの世界は狭いので食っていけるようになるにはたいへんだよと諭されました。実際、加地先生も教授になられたのは50代後半です。
そこで就職という線も考えるようになったのです。