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    <title>みやざきＷＥＢチャンネル</title>
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    <description>宮崎の情報満載　みやざきＷＥＢチャンネル　プレゼント　特集</description>
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      <title>みやざきＷＥＢチャンネル</title>
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    <item>
 <title>３９・・・神武天皇崩御</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2208</link>
<description><![CDATA[Ｊ３２・・・神武三十一年の巡幸・・・<br />
時は過ぎ行き、辛卯（かのとう）の年、夏４月１日に、<br />
天皇は、国の巡幸をされました。<br />
腋上（わきがみ）の&#21979;間丘（ほほまのおか）に登られて、<br />
国の形を話されました。<br />
「なんと素晴らしい国を得たことか。<br />
狭いながらも美しい。<br />
蜻蛉（あきづ）が臀&#21611;（となめ）しているように、<br />
トンボが交尾しているように、<br />
山々が連なって見えるなあ。」<br />
これによって、秋津洲（あきづしま）の名がつきました。<br />
<br />
解説・・・<br />
辛卯（かのとう）は、紀元前６３０年です。<br />
腋上（わきがみ）は、南葛城郡掖上村、今の御所市の東北付近。<br />
<br />
Ｊ３３・・・イザナキの言葉・・・<br />
そういえば、神代の昔、イザナキが、言われたそうです。<br />
「浦安（うらやす）の国、即ち、心安らぐ国、<br />
細矛（くわしほこ）の千足（ちだ）る国、即ち、武器の多い国、<br />
磯輪上（しわかみ）の秀真（ほつま）の国、即ち、良く整った国」<br />
それから、やはり、神代の昔、オオアナムチが、言われたそうです。<br />
「これは、玉垣の内つ国、即ち、垣根のような山が囲む国」<br />
また、近い昔、ニギハヤヒは、<br />
天磐船（あまのいわふね）で、大空を駆け巡り、<br />
空から眺めて、言われたそうです。<br />
「虚空（そら）見つ日本（やまと）の国、<br />
即ち、空から見ると美しい日本の国」<br />
<br />
Ｊ３４・・・太子（ひつぎのみこ）の選定・・・<br />
時は過ぎ行き、神武４２年、<br />
壬寅（みずのえとら）の年、春正月３日に、<br />
カムヌナカワミミを、皇太子に指名しました。勿論創作です。<br />
<br />
解説・・・<br />
壬寅（みずのえとら）は、紀元前６１９年です。<br />
<br />
Ｊ３５・・・神武天皇崩御・・・<br />
時は過ぎ行き、神武７６年春３月１１日に、<br />
神武天皇は、崩御されました。<br />
御歳（おんとし）１２７歳でした。　<br />
翌年の９月１２日に、畝傍（うねび）山の東北に葬られました。<br />
<br />
解説・・・<br />
神武７６年は、紀元前５８５年です。<br />
畝傍（うねび）山の東北は、橿原市大字洞字ミサンサイです。<br />
本当のところは、よく分りません。<br />
何せ、江戸時代の末ころまで、誰も関心がなかったのですから。<br />
それが、尊王思想の国学者によって、俄に関心が高まったのが、<br />
江戸時代末期のことですから。<br />
<br />
以上で終わります。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2208</comments>
 <pubDate>Wed, 27 Jul 2011 10:41:56 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>３８・・・初代天皇に即位</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2207</link>
<description><![CDATA[Ｊ２９・・・神武天皇即位・・・<br />
翌年、辛酉（かのととり）の春正月の１日に、<br />
神武は、橿原宮（かしはらのみや）で、<br />
初代天皇として、即位されました。<br />
この年が、天皇の元年です。<br />
この天皇を、<br />
始馭天下之（ハツクニシラスノ）天皇（スメラミコト）と称え、<br />
神日本磐余（カムヤマトイワレ）<br />
彦火火出見（ヒコホホデミノ）天皇（スメラミコト）と呼びます。<br />
ヒメタタライスズヒメを皇后とされました。<br />
後の話ですが、子供が二人できました。<br />
神八井耳（カムヤイミミ）命（のみこと）と、<br />
神渟名川耳（カムヌナカワミミ）尊（のみこと）です。　<br />
<br />
解説・・・<br />
辛酉（かのととり）は、紀元前６６０年です。<br />
<br />
Ｊ３０・・・論功行賞・・・<br />
翌年、神武２年の春２月２日に、天皇は、論功行賞を行いました。<br />
ミチノオミには、築坂（つきさか）に宅地も与え寵愛しました。<br />
オオクメには、畝傍（うねび）山の西に住まわせました。<br />
シイネツヒコを、倭（やまと）の国造（くにのみやつこ）としました。<br />
オトウカシを、猛田（たけだ）の県主（あがたぬし）としました。　<br />
オトシキを、磯城（しき）の県主（あがたぬし）としました。　<br />
ヤタガラスも又、賞を賜わりました。<br />
<br />
<br />
Ｊ３１・・・天つ神の祀り・・・<br />
神武四年の春２月２３日に、<br />
天皇は、天つ神を祀る場を鳥見山に設けました。<br />
そこに、高皇産霊尊（タカミムスヒノミコト）を祀りました。<br />
<br />
解説・・・<br />
鳥見山は、桜井市外山の鳥見山です。<br />
神武四年は、紀元前６５７年です。勿論創作です。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2207</comments>
 <pubDate>Tue, 26 Jul 2011 20:16:44 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>3７・・・天下の平定</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2206</link>
<description><![CDATA[Ｊ２６・・・最後の総仕上げ・・・<br />
翌年、己未（つちのとひつじ）の年の春２月２０日に、<br />
帰順しない豪族たちを、打ち滅ぼしました。<br />
添県（そうのあがた）の新城戸畔（ニイキトベ）、<br />
和珥（わに）の坂下の居勢祝（コセノホオリ）、<br />
長柄（ながら）の丘の猪祝（イノホオリ）、<br />
高尾張（たかおわり）の土蜘蛛（つちぐも）などを、打ち滅ぼしました。<br />
<br />
解説・・・<br />
己未（つちのとひつじ）は、紀元前６６２年です。<br />
この辺りは、日本書紀だけです。<br />
添（そう）は、添上（そえかみ）郡に関連し、大和郡山市付近です。<br />
和珥（わに）は、現天理市和珥です。<br />
長柄（ながら）は、現御所市長柄です。<br />
高尾張（たかおわり）は、現御所市南部付近です。<br />
以上を見ると、奈良盆地全体を制圧したことを示す文章です・<br />
<br />
Ｊ２７・・・神武の勅旨（みことのり）<br />
春３月７日に、神武は、部下を集めて勅（みことのり）されました。<br />
「われが、東征を決意して、ここに六年たった。<br />
天つ神のご加護によって、兇徒（きょうと）は全て平らげた。<br />
ここを都と定め、立派な御殿を作ろう。<br />
国の中心である大和（やまと）にて、都を開き、<br />
八紘（あめのした）を掩（おお）いて、宇（いえ）にせん。<br />
天の下のこの地上を、一つの家にしようではないか。<br />
この畝傍山（うねびやま）の東南の橿原（かしはら）は、<br />
真に大和の中心だ。ここに都をつくりなさい。」<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀だけです。<br />
例の、八紘一宇の基となった言葉が、ここにあります。<br />
ここの話は、もっと長いのを、うんと省略してあります。<br />
<br />
Ｊ２８・・・大和での結婚・・・<br />
翌年、庚申（かのえさる）の秋８月１６日に、<br />
神武は、大和で、后を迎えようとされました。<br />
ある人の奨めにより、<br />
媛蹈鞴五十鈴媛（ヒメタタライスズヒメ）にされました。<br />
この娘のお父さんは、事代主神（コトシロヌシノカミ）です。<br />
お母さんは、玉櫛媛（タマクシヒメ）です。<br />
三嶋（みしま）の溝&#27227;耳（ミゾクイミミ）の娘です。<br />
それで、９月２４日に、正式に后とされました。<br />
<br />
解説・・・<br />
庚申（かのえさる）は、紀元前６６１年です。<br />
この部分、古事記にもありますが、名前が違います。<br />
ヒメの名前は、ヒメタタライスケヨリ姫です。<br />
ホトタタライススキヒメとも言います。<br />
お父さんは、三輪山の大物主神（オオモノヌシノカミ）です。<br />
お母さんは、セヤダタラ姫です。三島ミゾクイの娘です。<br />
この二つの話から推測しますと、<br />
お母さんが、有力豪族である三島ミゾクイの娘であり、<br />
即ち、政略結婚であります。<br />
お父さんは、妻問い結婚のためか、誰の子か分らず、こう言う時、<br />
娘を売り込む時、神の子、龍の子と言ったのではないでしょうか。<br />
娘に通ってきた男は、渡来人の可能性は充分あります。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2206</comments>
 <pubDate>Sat, 23 Jul 2011 10:23:54 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>36・・・長髄彦（ナガスネヒコ）との再戦</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2205</link>
<description><![CDATA[Ｊ２３・・・ナガスネヒコとの決戦・・・<br />
冬１２月４日になりました。<br />
皇軍は、遂に、長髄彦（ナガスネヒコ）と、再戦することになりました。<br />
しかし、双方決め手なく、一進一退を繰り返しました。<br />
その時、急に空が暗くなり、雹（ひょう）が降って来ました。<br />
そこへ、金色の鵄（とび）が舞い降りてきて、<br />
神武の弓の先に、止まりました。<br />
その金色の鵄（とび）は、光り輝き、まるで雷光のようで、<br />
ナガスネヒコの軍勢は、眩しい光に遮られ、<br />
勢いが、どんどん衰えました。<br />
<br />
Ｊ２４・・・ナガスネヒコの使者・・・<br />
ナガスネヒコは、戦況が不利になったと、感じ取り、<br />
神武に使者を送ってきました。<br />
「以前、天つ神の御子という人が、<br />
天磐船（あまのいわふね）に乗って、天から降って来られました。<br />
名前は櫛玉（クシタマ）饒速日（ニギハヤヒ）と申される人です。<br />
それで、私の妹の三炊屋媛（ミカシキヤヒメ）を嫁にやり、<br />
可美真手（ウマシマデ）と言う子供もできました。<br />
そんな訳で、私は、現在、ニギハヤヒに、お仕えしています。<br />
一体、天つ神の子が、二人も、おられるのですか。<br />
あなたは偽者でしょう。」<br />
それを聞いて、神武が答えられました。<br />
「天つ神の子は、何人もいる。<br />
お前の主人が、天つ神なら、何か徴（しるし）があるだろう。<br />
それを示してご覧。」<br />
使者は、天羽羽矢（あまのははや）と歩靫（かちゆき）とを持ち帰り、<br />
神武に見せました。<br />
神武は「間違いない」と言い、自分も同じものを見せました。<br />
<br />
Ｊ２５・・・ニギハヤヒの帰順・・・<br />
ナガスネヒコは、それで、神武も天つ神であると、分りましたが、<br />
いまさら、戦う心を改めることが、できませんでした。<br />
この時、ニギハヤヒは、ナガスネヒコに、教え諭しましたが、無駄と知り、<br />
それで、ナガスネヒコを殺害し、部下を連れて帰順しました。<br />
神武は、これを良しとして、ニギハヤヒを可愛がりました。<br />
ニギハヤヒは、物部氏の先祖です。<br />
<br />
解説・・・<br />
古事記は、この辺り、話が断片的で、どうも、良く分りません。<br />
トミビコを攻撃した後に、エシキを攻撃しており、順序がおかしいです。<br />
しかも、殺したとは、書いてありません。<br />
その後に、ニギハヤヒが帰順します。<br />
そして、ニギハヤヒが、ナガスネヒコを殺したとも書いてありません。<br />
何だか、よくわからない話が続きます。<br />
それに比べ、日本書紀は、よく分ります。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2205</comments>
 <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 08:35:27 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>35・・・磯城彦（シキヒコ）との戦い</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2204</link>
<description><![CDATA[Ｊ２１・・・兄磯城（エシキ）の反抗・・・<br />
冬１１月７日になりました。<br />
神武は、磯城彦（シキヒコ）兄弟を攻めることにしました。<br />
まず、使者を送りましたが、兄弟のうち、兄磯城（エシキ）は<br />
返事をしてきませんでした。<br />
次に、ヤタガラスを派遣すると、弓を取って、射掛けてきました。<br />
それで、ヤタガラスは、弟磯城（オトシキ）の家に行くと、<br />
オトシキの方は、ヤタガラスを、もてなしました。<br />
そして、オトシキは、神武に帰順しました。<br />
<br />
解説・・・<br />
磯城（シキ）は、奈良県磯城（シキ）郡一帯<br />
<br />
Ｊ２２・・・シイネツヒコの作戦・・・<br />
シイネツヒコが作戦をたてて、言いました。<br />
「まず、忍坂（おさか）の道へ、<br />
先に帰順した、女軍（めいくさ）を繰り出しましょう。<br />
敵は、本隊が来たと思い、精兵を出してくるでしょう。<br />
こちらは、本隊の強兵を、墨坂の方へ、走らせましょう。<br />
そこで川の水を炭火に注ぎ、道を開いた後に、<br />
挟み撃ちにすれば、必ず勝つでしょう。」<br />
作戦通り、戦いは進められ、遂に、兄磯城（エシキ）を切り殺しました。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2204</comments>
 <pubDate>Tue, 19 Jul 2011 16:27:53 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>34・・・天神地祇（てんしんちぎ）への祈り</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2203</link>
<description><![CDATA[Ｊ１７・・・夢のお告げ・・・<br />
その夜、神武は、神に祈って眠りにつきました。<br />
すると、夢に、天つ神が現われ、神武に教えました。<br />
「天の香具山の土を取ってきて、瓦や瓶を作り、<br />
天神地祇（てんしんちぎ）を祀りなさい。」<br />
翌朝、神武が何も言わないのに、オトウカシが、<br />
夢と同じことを申し出ました。<br />
それを聞いた神武は、喜んで、<br />
シイネツヒコに、貧しい老人の姿をさせ、<br />
オトウカシに、貧しい老婆の姿をさせ、<br />
香具山の土を取ってくるよう、命じました。<br />
<br />
Ｊ１８・・・天香山への潜入行・・・<br />
二人が出かけると、早速、道に敵兵が満ち溢れていましたが、<br />
「なんと、汚い老夫婦だ」と笑って通してくれました。<br />
二人は無事に土を取ってきました。<br />
<br />
Ｊ１９・・・天神地祇への祀り<br />
神武は、大変喜んで、早速、瓦や瓶を作り、<br />
丹生（にう）の川上で、天神地祇（てんしんちぎ）を祀りました。<br />
また、宇陀川の朝原で、占いをし、成功させました。<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀だけです。相当、長々と書いています。<br />
丹生（にう）の川上は、<br />
奈良県吉野郡小川の丹生川上神社中社の付近です。<br />
宇陀川の朝原は、<br />
宇陀郡榛原（はいばら）町大字雨師字朝原の丹生神社の付近です。<br />
<br />
Ｊ２０・・・八十梟帥（ヤソタケル）との戦い<br />
冬１０月１日になりました。<br />
いよいよ、神武は出陣しました。<br />
まず、国見丘で、八十梟帥（ヤソタケル）を、切り殺しました。<br />
しかし、残党が多くいたので、<br />
忍坂（おさか）邑（むら）に、大室を作り、そこで敵を誘って、<br />
大酒宴を開き、酔ったところで、皆殺しにしました。<br />
<br />
解説・・・<br />
忍坂（おさか）は、桜井市忍坂（おさか）です。<br />
この辺りは、日本書紀も、古事記と、<br />
大局的には、同じですが、ストーリー展開が、やや違います。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2203</comments>
 <pubDate>Mon, 18 Jul 2011 09:28:15 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>33・・・宇陀(うだ)での戦い</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2202</link>
<description><![CDATA[Ｊ１４・・・エウカシ　の策略・・・<br />
秋８月２日になりました。<br />
宇陀には、二人の豪族がいました。<br />
兄猾(エウカシ)及び、弟猾(オトウカシ)の兄弟です。<br />
神武は、話し合いをしようと、二人を招集しました。<br />
しかし、エウカシは、やって来ず、オトウカシだけが参上しました。<br />
オトウカシが、兄の策略を暴露しました。<br />
「兄は、だまし討ちしようと、新しい宮を作り、<br />
その中に仕掛けを作り、御もてなしと、見せかけて、<br />
落とし穴に、落とそうとしています。」<br />
神武は、早速、ミチノオミに確認させました。<br />
ミチノオミは、仔細に調べた後、エウカシに、<br />
「お前が部屋に先に入れ」と、剣と弓で追い詰めたので、<br />
エウカシは、自分の仕掛けに落ちて死にました。<br />
弟のオトウカシは、帰順し、酒宴で、神武らを、おもてなししました。<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀も、古事記と、ほぼ同じストーリーです。<br />
<br />
Ｊ１５・・・吉野の視察・・・<br />
この後　神武は、吉野の地を、視察されました。<br />
最初に、井戸の中から、尾が光る人が出てきて、<br />
井光（イヒカ）と名乗りました。吉野の首（おびと）の先祖です。<br />
次に、磐（いわ）を押し分け、尾のある人が出てきて、<br />
磐排別（イワオシワク）と名乗りました。吉野の国栖（くず）の先祖です。<br />
そして、梁（やな）で魚を採る人が出てきて、<br />
苞苴担（ニエモツ）と名乗りました。<br />
阿太（あだ）の養鵜（うかい）の先祖です。<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀も、古事記と、ほぼ同じストーリーです。<br />
ただし、古事記では、熊野から、まず吉野に到達しています。<br />
<br />
Ｊ１６・・・敵情視察・・・<br />
秋９月５日になりました。<br />
神武は、宇陀の高倉山に登って、周りの情勢を、眺めました。<br />
あちこちに、敵軍が見えました。<br />
すると、西の方の国見丘に、八十梟帥（ヤソタケル）の軍がいました。<br />
また、女坂（めさか）には女軍（めのいくさ）、<br />
男坂（おさか）には、男軍（おのいくさ）、<br />
墨坂（すみさか）には、炭軍（すみのいくさ）が陣取っていました。<br />
又、遠く、磐余邑（いわれのむら）には、<br />
兄磯城（エシキ）の軍が溢れていました。<br />
いずれも要害の地であり、道と言う道は、全て塞がっていました。<br />
神武も「これでは、大和（やまと）入りは、適わぬなあ」と当惑しました。<br />
<br />
解説・・・<br />
高倉山は、大宇陀町守道にある山です。<br />
この辺りは、日本書紀だけです。<br />
磐余邑（いわれのむら）は、奈良県磯城郡桜井町、<br />
現在の桜井市付近の地名です。<br />
神武の名前の、神日本(カムヤマト)磐余彦(イワレヒコノ)<br />
天皇(スメラミコト)の磐余(イワレ)は、ここからきています。<br />
磯城（シキ）は、奈良県磯城郡一帯の地名です。<br />
磯城（シキ）の方が、磐余(イワレ)を含む広い地域です。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2202</comments>
 <pubDate>Thu, 14 Jul 2011 14:17:41 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>32・・・熊野の山越え</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2201</link>
<description><![CDATA[Ｊ１２・・・ヤタガラスの助け・・・<br />
神武らは、ようやくに、内陸部に向け出発しました。<br />
しかし山道が険(けわ)しくて、道を探せど見つかりません。<br />
困っていた時、神武の夢に、アマテラスが現われました。<br />
「今、頭八咫烏(ヤタガラス)を遣(つか)わすから、<br />
これを先導に、山を越えなさい」<br />
すると、ヤタガラスが舞い降りてきました。<br />
神武は、喜び申されました。<br />
　「烏(からす)が来たのは、夢のお告げの通りだ。　ああ偉大なり」<br />
<br />
解説・・・<br />
古事記では、アマテラスでなく、高木神が言ったことになっています。<br />
<br />
Ｊ１３・・・日臣(ヒノオミ)　の活躍・・・<br />
こうして山を越える時、大伴(おおとも)の先祖の日臣(ヒノオミ)が、<br />
大来目(おおくめ)を率い、大軍の大将の役目を任されました。　<br />
それでヒノオミは、山を踏み、道を掻き分け、カラスを仰ぎ追いながら、　<br />
遂に大和の近く、即ち、宇陀(うだ)の下県(しもつこおり)、<br />
穿(うかちの)邑(むら)に到着しました。<br />
神武は、日臣(ヒノオミ)の活躍ぶりを、褒め称え、<br />
「山越えの功、見事なり。本日よりは、道臣(ミチノオミ)と名を名乗れ」　<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀も、古事記と、ほぼ同じストーリーです。<br />
ただし、古事記では、まず吉野川の河尻に到達し、その後、<br />
宇陀(うだ)に到達しています。私は、古事記のルートの方が好きです。<br />
穿(うかち)は、宇陀郡宇賀志村のことです。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2201</comments>
 <pubDate>Thu, 14 Jul 2011 08:41:31 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>31・・・熊野での戦い</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2200</link>
<description><![CDATA[Ｊ１１・・・タカクラジの助け・・・<br />
こうして神武は、兄弟を全て失い、悲嘆の中、<br />
残った息子タギシミミを、引き連れ、軍を進めました。<br />
そして熊野の、荒坂津(あらさかのつ)に到着しました。<br />
そこに、丹敷戸畔(ニシキトベ)なる賊(ぞく)がいて、<br />
抵抗したので、殲滅しました。　<br />
その時、神が毒気(どくけ)を吐き、たちまち全員、倒れこみました。<br />
そこへ、熊野の高倉下(タカクラジ)と言うものが、<br />
神武に「ふつのみたま」と言う名の剣を献上しました。<br />
タカクラジは、昨日の夢の話をしました。<br />
「アマテラス様が、夢に出て、タケミカヅチに命令しました。<br />
『地上は乱れ、騒がしい。もう一度降りて、退治しなさい』<br />
タケミカヅチが答えました。<br />
『その必要は、ありません。私が平らげた時に使った、この剣を、<br />
下に降ろせば、大丈夫です』<br />
朝、眼が覚めて、倉の中を見ると、この剣がありましたので、<br />
早速、参上いたしました。」<br />
神武は、お礼を言い「ずいぶん長い間、眠ったようだ」と言われました。<br />
その後、兵らも目覚めました。<br />
<br />
解説・・・<br />
荒坂津(あらさかのつ)は、三重県南牟婁郡荒阪村二木島、<br />
現在、熊野市二木島（にきしま）町<br />
丹敷（にしき）は、この二木島（にきしま）の豪族と思われます。<br />
丹（に）は水銀のことなので、神武の軍は、<br />
水銀中毒にかかったのでは、と言う話もあります。<br />
タカクラジの話は、日本書紀も、古事記も、ほぼ同じです。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2200</comments>
 <pubDate>Sat, 9 Jul 2011 16:56:42 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>30・・・紀州での戦い</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=147&amp;itemid=2199</link>
<description><![CDATA[Ｊ１０・・・稲飯と三毛入野の死・・・<br />
６月２３日に、名草戸畔(ナクサトベ)が抵抗したので、殲滅しました。　<br />
その後、佐野を越えて、神邑(みわのむら)に至り、<br />
天磐盾(あまのいわたて)に登りました。<br />
更に軍勢は進み、<br />
海を渡る時、にわかに嵐に遭遇し、舟は激しく揺れました。<br />
稲飯(イナヒ)が、嘆き申しました。<br />
「ああ、父上は天つ神で、母は海の神、それなのに、<br />
どうして陸に悩まされ、海で苦しめられるのか」<br />
そして剣を抜いて、海に沈み、鋤持神(サヒモチノカミ)と、なられました。<br />
更に、三毛入野(ミケイリノ)も、暴風を恨んで申しました。<br />
「我らの母も、叔母さえも、海神(わたつみ)の娘、それなのに、<br />
どうして我を溺れさすのだ」<br />
そして波の穂を踏み抜いて、常世国(とこよのくに)に、去られました。<br />
<br />
解説・・・<br />
この辺りは、日本書紀だけです。<br />
名草は、和歌山市西南に、名草山があります。<br />
佐野は、和歌山県新宮市内です。<br />
神邑(みわのむら)は、新宮市の熊野速玉神社の地、<br />
天磐盾(あまのいわたて)は、新宮市の神倉山です。<br />
しかし、話の順序が、どうも、おかしいです。。<br />
和歌山から熊野までを、海を行くなら、分りますが、<br />
新宮で一旦、上陸してから、<br />
また熊野まで、海を行くなんて、おかしいです。<br />
私は、海を渡るのは、名草と佐野との間だと思います。<br />
鋤持神(サヒモチノカミ)は、古事記では、山幸帰還の時に、<br />
一尋ワニに与えた名前となっています。<br />
古事記では、次男のイナヒ、及び三男のミケヌは、<br />
ウガヤの子供の説明の時に、死んだことが書いてあります。<br />
表現は日本書紀と同じ死に方です。<br />
日本書紀の、この場所の方が、説明として適切な感じがします。<br />
]]></description>
 <category>神話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2199</comments>
 <pubDate>Fri, 8 Jul 2011 16:00:31 +0900</pubDate>
</item>
    <item>
 <title>口蹄疫・・・早く収まって！</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=2&amp;itemid=1810</link>
<description><![CDATA[宮崎が未曾有の危機に襲われています。<br />
<br />
口蹄疫という家畜の伝染病が発生して今日でちょうど1ヶ月。<br />
ここまで恐ろしい悲劇になるとは･･･。<br />
<br />
戦後65年、宮崎の畜産に携わる人々は、<br />
ただひたすらおいしいお肉を作ろうと真面目に取り組んで<br />
来ました。<br />
<br />
牛を我が子のように慈しみ育て、<br />
共進会の前には人間用のシャンプー・リンスできれいにしてやり、<br />
まさに手塩にかけて育ててきた生産者。<br />
<br />
そして、行政やJA、大学も一丸となり、<br />
最先端の技術を開発して、品質アップに努めてきました。<br />
そして、奇跡の種牛、安平号の誕生。<br />
<br />
長い歴史と努力が実を結び、<br />
3年前の「和牛能力共進会」で宮崎牛が名実共に「日本一」と<br />
なったのです。<br />
<br />
豚に対しても同様です。<br />
宮崎産の豚肉が出荷出来ない事態を受けて、<br />
市場では品薄・価格の上昇などの混乱が起きているそうです。<br />
あらためて、宮崎が畜産県だということを思い知らされます。<br />
<br />
<br />
昨日、東国原知事が非常事態宣言を発して、本当に大変なことになっている<br />
宮崎県ですが、<br />
心温まる全国・県民からの義援金も寄せられていて、<br />
心強く思う次第です。<br />
<br />
また、昨日の宮日新聞には、<br />
一番被害が多く、通学路の封鎖や運動場に出られないなどの<br />
制限を受けている川南町のある小学校で、<br />
殺処分された牛や豚の魂をなぐさめるため、千羽鶴を折っているという<br />
記事が載っていました。<br />
読んで涙が出てきました。<br />
<br />
今回の出来事は、あらためて私たちは「他の命をいただいて生かされているんだ」ということを思い知らされます。<br />
牛や豚、その他すべての命は、おいしく食べてあげてこその供養。<br />
これ以上、食べてあげられない牛や豚の命が失われないよう、<br />
一日も早い終息を私も祈ります。<br />
<br />
埋設や消毒作業に当たっている作業員の皆様も<br />
もう1ヶ月。<br />
先の見えない辛い作業に、精神的にも肉体的にも<br />
疲労困憊されていることと思います。<br />
どうか、体調を崩されないよう、祈っています。<br />
<br />
<br />
全国の皆さま、宮崎県ではまだ症状の出ていない牛や豚も<br />
同じ畜舎にいれば殺処分されます。<br />
口蹄疫にかかった肉が市場に出回ることはありません。<br />
<br />
正しい知識を知っていただき、どうかこれからも宮崎を応援してください。<br />
<br />
<br />
文章が大変暗くなり、私らしくない！<br />
<br />
<br />
ということで、先日Wマキが腕をふるってくれた宮崎牛のくび肉料理を<br />
ご紹介します。<br />
<br />
台湾マキ製作・宮崎牛くび肉のタルタル。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100521-tarutaru.jpg">null</a><br />
<br />
生の牛肉を刻んで、やはり刻んだ玉ねぎやケッパーをオリーブオイルやビネガーで味付け、スライスしたパンにのせていただきます。<br />
<br />
お店で食べるよりも少し大きめにお肉が刻んであり、<br />
歯ごたえが何とも言えずおいしかった！<br />
私は実はお肉は生で食べるのが一番好きなんです。<br />
<br />
ジュエリーまきちゃんがあらかじめことこと煮込んだポトフ。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100521-potofu.jpg">null</a><br />
<br />
宮崎牛のだしが出て、お野菜のうまみとからみあって<br />
これまたgood！<br />
ジュエリーまきちゃんはお料理の天才！<br />
お嫁さんにしたいくらいなのです。<br />
<br />
これまたジュエリーまきちゃんの作品、<br />
宮崎牛くび肉のラグーソースパスタ。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100521-pasta.jpg">null</a><br />
<br />
包丁でたたいてミンチにしてくれました。<br />
珍しいくび肉という部位の実力を思い知らされた一品。<br />
ワインが進みました。<br />
<br />
<br />
実は、我々「食肉研究部」をたちあげたのです。<br />
珍しいお肉を手に入れたら、それに合うお料理を作って食するという部活です。<br />
今こそ、おにく！<br />
我々は食べるぞ〜！！！<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
 <category>にっき</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=1810</comments>
 <pubDate>Fri, 21 May 2010 01:15:06 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ひのかげの新しい「列車の宿」</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=2&amp;itemid=1773</link>
<description><![CDATA[今月22日、私の第2のふるさと日之影町に<br />
TR高千穂鉄道跡地を利用した「ひのかげTR列車の宿」がオープンしました。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100424-1272118804.jpg">null</a><br />
<br />
TR高千穂鉄道はかつて、延岡から高千穂を結ぶローカル線として、<br />
地元住民の通勤・通学の足、また観光用の列車として<br />
長年親しまれてきました。<br />
五ヶ瀬川沿い、そして深い山間を走り、<br />
その車窓風景の美しさは観光客からも人気を集めていました。<br />
<br />
実際には経営は苦しく、再三廃線の話も出ましたが、<br />
地元住民たちの熱心な訴えにより、経営を頑張ってきた経緯もありました。<br />
しかし、平成17年の甚大な台風被害により、橋脚が流されたり、<br />
レールが敷かれている盛り土が流失したりしたため、<br />
再建は不可能と判断され、とうとう廃止となってしまいました。<br />
<br />
日之影町内には全国でも珍しい駅舎の中に温泉がある<br />
「日之影温泉駅」があり、TR廃止後も温泉駅を経営してきました。<br />
このほど、日之影温泉駅の活用事業として町民が知恵を絞り、<br />
「TR列車の宿」がオープンしたのです。<br />
<br />
<br />
かつて実際に高千穂線を走っていた電車の車両2両が<br />
4人部屋・2人部屋・1人部屋に改築されました。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100424-1272118837.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100424-1272118874.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
出来る限り現役時代の姿を留めたいと、<br />
運転席や荷棚、照明などをそのまま活用しています。<br />
鉄道マニアの方にはたまらない経験かもしれません。<br />
<br />
また、行楽で泊まる方にもオススメポイントが。<br />
<br />
それは「料金」です。<br />
一人部屋1泊￥3500、2人部屋￥6000、4人部屋￥10000<br />
なんです。<br />
これは素泊まり（食事無し）の料金です。<br />
各部屋にトイレはありますが、お風呂はありません。<br />
駅の温泉を利用します。<br />
<br />
日之影町は宮崎県第1号の「森林セラピー基地」の認定を受けており、<br />
地元のガイドさんが森林セラピーロードを案内してくれたりします。<br />
この「列車の宿」オープンを機に、<br />
癒し効果抜群の日之影の森を訪れてみてはいかがですか？<br />
<br />
予約・お問い合わせ<br />
ひのかげ列車の宿有限責任者事業組合<br />
TEL　0982-87-2600]]></description>
 <category>にっき</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=1773</comments>
 <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 23:21:31 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>愛媛にはホントにありました！</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=2&amp;itemid=1733</link>
<description><![CDATA[何がって、ポンジュースが出る水道ですよ！<br />
<br />
以前ニュースになったそうで、ご存じの方は多数いらっしゃると<br />
思われますが、<br />
私は知らずに先週末、宮崎フェアのため、<br />
愛媛に行きました。<br />
そしたら、スタッフの方が<br />
「松山空港にはポンジュースが出る水道があるよ」<br />
っておっしゃるので、私をだまそうとしているとばかり思って<br />
全く信じていなかったのです。<br />
<br />
帰りの日、空港に着いて、試しに空港職員の方に<br />
「ポンジュースが出る水道って本当にあるんですか？」って<br />
聞いてみたら、<br />
「いつもあるとは限りません。もしあるとしたら、そこのエスカレーターを上った正面です」<br />
と答えるではありませんか！<br />
「ほんとかな〜？？？」とエスカレーターを上ったら・・・<br />
<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100326-pom1.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
あったんです！ポンジュースが出る水道！<br />
よしだあいみ、大コーフン！<br />
しかもふるまいですよ、タダなんですよ！<br />
蛇口から、ポンジュース！<br />
すごい、愛媛。サイコーです！<br />
<br />
当然私もいただきました。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/3/20100326-pom2.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
実は、このポンジュースの水道は常設ではなく、<br />
『毎月第３日曜日の午前10時から午後2時まで』なんですって。<br />
私はまっぽす（宮崎弁で『ちょうど』、とか『ど真ん中』みたいなニュアンス）その時間にハマッタって言うわけです。<br />
そして私もしばらくポンジュースにハマリソウです。<br />
<br />
]]></description>
 <category>にっき</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=1733</comments>
 <pubDate>Fri, 26 Mar 2010 00:17:05 +0900</pubDate>
</item>
    <item>
 <title>祖父の話　１</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=148&amp;itemid=2216</link>
<description><![CDATA[2年前に下記を書いたが中断していた。改めて書きためようと思う。<br />
祖父が亡くなってずいぶんと時間が経った。祖父を知っている人も年々亡くなっている。<br />
まずは自分の記憶を書き留めそれを祖父を知る人たちに確認しながらまとめてみたいと考えている。<br />
<br />
--------------------------------------------------------------------------------<br />
私の家は明治の初めに徳島県より移住している。<br />
曾祖父曾祖母は子供がいなくて、祖父と祖母は養子養女である。<br />
したがって、血のつながりは絶えていると思う。<br />
<br />
祖父は高岡出身の奥野家より養子できているが、正確な年齢がわからないとよく言われていた。昔の戸籍はそういうものだったらしい。<br />
先祖は鶴之島というところで人夫をしていたらしい。後、江平に住んだとのこと。<br />
当時山之口といわれていた、神宮西（現在の実家のあるところ）にその後、越してきた。<br />
小作人をやっていて、祖父の亡くなる頃の日記に、小作人のつらさやるせなさをしるしたものがあったが、苦労をしていたようだ。<br />
曾祖父曾祖母とも介護が必要な状態になり、苦労はさらに重いものになった。<br />
祖母も曾祖父母の面倒を見ながら農作業を手伝うという日々だったらしい。<br />
そのせいか長女である母親の兄が2名ほどいたようだが、生きては生まれなかったようだ。<br />
母の下に千恵子という妹がいたが、終戦間際に肺炎となり、薬がないために死んでしまったという。<br />
祖父は徴兵され、中国大陸に出征。遠くは重慶まで行ったようだ。戦後も2年程度抑留され、戻ってきたのは昭和23年頃だったらしい。ようやくたどりついた我が家に戻ると、次女はすでに死んでいた。祖父は次女のためにどこで入手したのか人形をぶらさげていたという。祖母は土下座して謝った。祖父は涙を見せながらも、祖母を気遣った。<br />
祖父はとにかく働いた。空いた時間を見つけて自転車で野菜を売りに行った。農閑期には馬車で木材を運んだ。<br />
<br />
農地改革（農地解放）により祖父は小作人から自作農となった。<br />
祖父は江平の空き家を買い求め、移設をしていた。その家の居間には畳半分くらいの囲炉裏があり、そこで祖父母は食事をしていた。<br />
農地改革のために市役所の人間が測量などをやっていたときく。その頃の事情だろうが、祖父の家に泊って周囲を測量していたようだ。毎日の作業にはそれが効率的でよかったのかもしれない。<br />
夜はこの囲炉裏で焼酎などを酌み交わしていたようだ。そこで、「水居さん、ここは角地になるからいいわ、買うた方がよい」と言われたそうだ。インサイダー的な話かもしれないが、そこで祖父は「無尽」、今の宮崎太陽銀行から金を借り購入した。<br />
<br />
また、現金収入のために下宿をしていて、近くにある宮崎大学の学生が数名住んでいた。風呂は供用させていて、風呂上がりの学生が祖父と囲炉裏で焼酎を酌み交わすことも多かったらしい。そこで、花の話が出る。農学部の学生が花の先生を紹介し、先生も焼酎片手に囲炉裏に来たらしい。官舎もすぐそばにあったせいもある。<br />
生花のビジネスについて聞いたようだ。種をもらったり、指導をしてもらったりで花の生産がはじまる。最初のうまくいった花はフリージアだと聞く。<br />
いろいろとトライし、出荷できるようになった。北九州に貨車に載せて出荷するのだが、残念ながら熱とかエチレン（塗料から出る）により半分以上腐っていたらしい。<br />
<br />
祖父は宮崎に花市場の必要性を感じていた。生産者、小売店ともに同様だったようで、都城で花市場をしていた小倉道男さんにお願いをして共同で設立した。小倉花市場のちの宮崎中央花きである。小さい時によく祖父に連れられて行った。祖父は晩年市場に出かけていた。黄門さんと呼ばれ若い人たちにも可愛がってもらっていたようだ。<br />
<br />
祖父は野菜、米、花と作っていた。祖母と二人で黙々と働いていたという印象がある。母は妹が亡くなったため、一人娘であった。祖父は母を宮崎大学付属小学校に入学させた。今でも選抜のある付属小学校は一種ステータスがあるが、当時町家の子弟ばかりの付属小に農家の子が入るのは珍しかったらしい。祖父にどこか一種コンプレックスがあったのかもしれない。母は付属中学校、宮崎大宮高校と進む。高校は商業科（後の宮崎商業高校）だったようだ。高校では体操部に属し、その写真が残っている。卒業後は農協や山形屋で働いていたようだ。<br />
<br />
父は都城市の隣の三股町の出身。2人の姉、1人の兄、2人の妹、1人の弟がいた。さらに一番上に異母姉がいる。農家であったが、没落していて苦しい家計だったと聞く。<br />
宮崎県立都城都島高等学校（後の都城農業高校）卒業後、久留米の農業試験場を経て宮崎に戻る。農協を中心に就職活動をしていたがままならず、その時期に知人を通じて母と見合いすることになる。見合い後、毎朝父は水居の家に来て便所の糞尿を汲み取り、畑にまくなどをしていたらしい。祖父はそこを気にいって結婚ということになったようだ。祖父は父をまず養子とした。相続対策だったのかもしれない。そのうえで母と結婚させた。<br />
当時の父の日記にそのあたりの苦悩の記述があった。萩原（旧姓）家の再興を果たさないといけないから自分はあえて萩原の名前を捨てる、とあった。<br />
<br />
父は、なんとか延岡市の東延岡農協に就職が決まり、延岡市出北（いできた）町に引っ越す。新婚の新居は東延岡農協の官舎であった。2Kだったの平屋だったと記憶している。トイレが入口の土間から奥に入ったところにあり、小用が4つくらい、個室が2つくらいあった。ここは農協の事務所のトイレでもあった。母には見知らぬ男性がどかどかと入ってくるのは耐えられなかったらしい。いつも土間の障子がぴっちりとしまっていたのが記憶にある。<br />
下に弟が二人生まれ、私は宮崎の祖父母に預けられた。実家から遠く離れて、0歳、2歳、4歳の男の子3人は経済的にも物理的にも母の手に負えなかったのだろう。<br />
そのおかげで私は祖父に大きな影響をうけることとなる。<br />
]]></description>
 <category>祖父の話</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2216</comments>
 <pubDate>Sat, 30 Jul 2011 10:19:29 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>久しぶりにF流ブログへ挑戦　20110618</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=142&amp;itemid=2193</link>
<description><![CDATA[F師匠のブログは相変わらずさえている。<br />
久しぶりにF流ブログへ挑戦してみたくなった。<br />
<br />
昨夜はある会合で友人たちと会食、その後二次会に参加。<br />
たまには発散を、ということで。<br />
<br />
T山さんの手に何かが。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-tandsa.jpg"></a><br />
<br />
若手から犠牲になるのでしょうか。S井さん。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-sakai1.jpg"></a><br />
<br />
いつのまにか、谷村新司になっていました。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-sakai2a.jpg"></a><br />
<br />
<br />
重鎮も気軽に応じていただきました。さすが、大物です。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-sata.jpg"></a><br />
<br />
私も犠牲に。でもへたくそです。やはりこの技は熟練に10年はかかります。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-mizui2.jpg"></a><br />
<br />
なんと他のテーブルに偶然いた　D先生とM山さんも犠牲に。<br />
D仲さんと重鎮とD先生のすばらしいEXILE。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-exsile.jpg"></a><br />
<br />
クールながらすぐに応じてくれた空気が読めるI副幹事。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-iwakiri1.jpg"></a><br />
眉毛が少し物足りなかったのでカバーしました。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-iwakiri2a.jpg"></a><br />
<br />
この様子を母親のように見守る、一番ひげの似合っていたN倉さん。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-nagakuraa.jpg"></a><br />
<br />
本日のMVP。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-tyama1a.jpg"></a><br />
<br />
この顔でビジネス経営論を語るT山さん<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110628-tyama2a.jpg"></a><br />
塗ってはツーショットのT山さん。エンジンがかかってしまいました。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-tandm.jpg"></a><a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-tyamaanddegu.jpg"></a><a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-tyamaandm.jpg"></a><br />
<br />
ちなみに目線がほとんど不要なY口さん。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/4/20110618-tyamaandyamagu.jpg"></a><br />
]]></description>
 <category>F流ブログへの挑戦</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2193</comments>
 <pubDate>Sat, 18 Jun 2011 12:48:03 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>綾町の郷田町長に会ってみたかった。　20110602</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=33&amp;itemid=2182</link>
<description><![CDATA[綾町は有機農業と照葉樹林で有名である。宮崎市内からクルマで30分程度の町。信号の少ない県道17号線を進むと田園地帯が広がってくる。<br />
この綾町には郷田さんという6期つとめた町長がいらっしゃった。既に鬼籍に入られているが、現在の綾町の姿を設計し作り上げた人らしい。<br />
<br />
綾わくわくファームというスローフードや農商工連携を推進する事業体がある。ここの代表の濱田さんは、郷田町長の時の綾中学校の校長を務めた方。その縁で今でも、綾では先生と呼ばれる。この濱田さんが郷田町長についてミニ本を書かれている。<br />
今回、当社で電子化した。<br />
<br />
<script type="text/javascript">var mixPaperBookid="4db9224953736";</script><script type="text/javascript" src="http://widget.mixpaper.jp/blogparts-simple.js"></script><br />
<br />
これによれば、郷田さんはなかなかの発想家であり、実行型の方である。<br />
権道という言葉も実践され、結果的にはすばらしい町を作った。<br />
<br />
一度お会いしたかったと心より思う。]]></description>
 <category>日々新たなり</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2182</comments>
 <pubDate>Thu, 2 Jun 2011 22:17:36 +0900</pubDate>
</item>
    <item>
 <title>No.667 『地デジ騒動』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2214</link>
<description><![CDATA[2011.7.25<br />
先週、ヤクルトの畠山選手が来てくれました。エスコートしてくれたのは、新宿３丁目で「海坊主」（０３−３３５０−８８２２）というカラオケ＆ボリュームおつまみを出す店の工藤昭夫オーナーでした。この店にはプロ野球の選手が多く来店、野球好きのひとにはたまらん！と思いますので一度訪ねてみてはいかがでしょう。<br />
<br />
ヤクルトの４番打者が来てくれたというのも話題ですが、そのあとオールスター戦に出場した７月２３日（土）の第１戦５回では、勝ち越しの３ランを放ちMVPを獲得、３００万円の賞金も手にしました。近頃有名人は来（き）ちょらんの？とよく聞かれますが、来たがね、ヤクルトの畠山選手が、オールスターでMVPをとったがね！と言えます。ホっ。<br />
<br />
野球の醍醐味を味あうには「生」で観るのがいいのでしょうが、そうもいかないからテレビ観戦をする。そうですね、やっと本題。昨日今日と世間を賑わした地デジ問題。店と我が家は大丈夫でした。我が家の浴室テレビがアナログだったものの、なんとかを経由しているので２０１５年までは視聴可能。しかし、NHK-BSの２チャンネルは映らなくなったので昨日夕方６時からの「江」は観られませんでした。<br />
<br />
やはり先週、台風下の帰郷での地デジ問題。実家・都城は宮崎県と鹿児島県の県境にあり、アンテナをしっかり立てると、　宮崎での貴重な民放フジテレビ系とTBS系に加え鹿児島のテレビ朝日系、日本テレビ系も映るのです。しかし、鹿児島の画面にはあと５日でアナログ放送終了の文字が。あわててシャープに電話したら地デジ対応のテレビだったので、指示に従って全てを「地上D」に移行、しかも、ch１〜４を宮崎のNHK２局と民放２局、ch５~１０を鹿児島のNHK２局と民放４局に集中させました。８０歳になる母親にはやりやすくなることでしょう、たぶん。<br />
<br />
東京・新宿・歌舞伎町の『みやこんじょ』。こちらは、営業中はアーティスト（歌手）のPV（プロモーション・ビデオ）を流しているか、お客さんを撮った写真を流すスライドショーでお客さんに楽しんで頂いております。<br />
]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2214</comments>
 <pubDate>Mon, 25 Jul 2011 08:55:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>No.666 『みやこんじょ３０周年』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2213</link>
<description><![CDATA[2011.7.20<br />
７月１８日（月）１０時２５分。熊本空港にいました。いや、熊本空港に飛ばされたのでした。羽田空港７時３５分に飛び立った飛行機は、視界不良の場合は羽田に引き返すか、熊本空港に着陸するという条件付きのフライトでした。だから、熊本空港におっても文句は言えんのです。宮崎空港には、自分が夢うつつの中２、３回は着陸態勢に入るというアナウンスがありましたが結局断念したのでした。熊本空港へ向かいます・・・を遠くに聞きながら、あ〜ぁと。<br />
<br />
１１時に２台のバスに分乗して、えびのインターでのトイレ休憩を挟んで約２時間半で宮崎空港に着きました。その日、１３時からのBBQを１５時からに変更し、台風下でのヒロソコ家で華々しく、いや、粛々と開催されました。１０人弱の参加者の、なんでこんなにしてまでBBQを？という顔に風が容赦なく吹き付け，雨に濡れながらも庇（ひさし）の下での宴は、最後は座敷に上がって２３時まで続きました。<br />
<br />
そんな中、今は都城に住んでいるものの、出張や遊びで上京されたお客さんや３０代、４０代の元アルバイトの参加者の皆さんに報告しました。<br />
<br />
１）８月４日（木）の宮崎日日新聞に『みやこんじょ３０周年御礼』の全面広告を出すから見てね。<br />
<br />
２）１０月１０日（月／体育の日）１１時から新宿ヒルトンホテルで『みやこんじょ３０周年お客様感謝祭』をやるということ。これは常連のお客さんを招待するもので今、来客されたかたに順次お誘いしていること。来られるんだったら都城から来てよ。<br />
<br />
なんと皆さん、前向きに上京されるみたい。ここで話に出たのが、彼らが発起人になって『地元有志主催・みやこんじょ３０周年を祝う会』を都城でやろうというものでした。東京に行けない『みやこんじょ』ゆかりの方々を誘って都城のホテルで開こうというのです。参加者のひとりが、大学生の頃『みやこんじょ』の常連だった「ホテル中山荘」の社長を台風の中呼んで即決しました。<br />
<br />
３）１１月２０日（日）１２時から都城市の「ホテル中山荘」で『地元有志主催・みやこんじょ３０周年を祝う会』を開く。<br />
<br />
これにより、１１月２０、２１日は『みやこんじょ』臨時休業。スタッフも都城のパーティに参加。都城で飲んかた１泊。翌日、宮崎観光、宮崎市で飲んかた。楽しんだ後は、２２日（火）祭日前の忙しい日からがっつり仕事をすることになります。<br />
]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2213</comments>
 <pubDate>Wed, 20 Jul 2011 08:53:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>No.665 『FUKUSHIMA』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2212</link>
<description><![CDATA[2011.7.11<br />
７月８日（金）午前３時過ぎ、ガタガタっと室内が揺れ出しました。震度４とか５とか。今寝ているベッドは自宅ではない。福島駅に隣接しているホテルです。震源地は、福島、です。ガチ地震です。その前に和歌山で地震がありましたが、その夜はホントに本場の地震を味わったことになります。早朝７時過ぎの新幹線で東京に帰りましたが、いくらか運転の遅れが生じていました。<br />
<br />
今、東北を旅行しようというキャンペーンが頻繁に張られています。ボランティアで助けようという、ちょっと気合いを入れて動き出すのではなく、気軽に東北を旅行しておいしい食事、お土産にお金を遣いましょう、それが被災地になった東北のためになるのですから、というものです。<br />
<br />
これは、支援しやすいと旅行会社のキャンペーン前から始めたのが、５月１日の石巻被災地へ支援物資を届けるのと仙台での牛タンランチ＆お土産購入。６月１日の仙台被災地をまわり、地元新聞社・河北新報社への１００，０００円の義援金届け、温泉＆飲み会、お土産を宮崎へ発送の１泊の旅。<br />
<br />
そして今回。忘れないように覚えやすい７月７日（木）福島宿泊の旅です。宮崎が宮崎日日新聞社というように、ほとんどの地方は地元紙は１社ですが、福島は２社。わかる被害より目に見えない放射能というやっかいな被害が甚大な福島には、２大新聞社・福島民放新聞社と福島民友新聞社に、それぞれ１００，０００円ずつ義援金を持って行きました。訪れたところは、飯舘村（いいたてむら）と相馬市。飯舘村では食べるところは無いといわれ、相馬市の海岸端で３軒営業しているところの１軒で昼ご飯を食べました。<br />
<br />
夕方、高湯・花月ハイランドホテルで硫黄色の日帰り温泉（６００円）に浸（つ）かり、福島の鳥安さんで最後の満席のひととなり、他のお客さんが帰ったところでご主人と話をさせてもらいました。こちらは、福島人３人を含む６人でした。こういう旅には地元ドライバーが必須です。東京在住の時知り合ったリキさん。同行者はリキさんの東京時代の会社の先輩であり、石巻に連れて行ってくれたオオノさん。『みやこんじょ』が元気だからできる助け合い。元気にさせていただいている皆さん、有り難うございます。<br />
<br />
ホテルの揺れは、忘れるんじゃないぞ、FUKUSHIMA！というサインだったのでしょう。<br />
]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2212</comments>
 <pubDate>Mon, 11 Jul 2011 08:46:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>No.664 『節電・LEDに交換』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2211</link>
<description><![CDATA[2011.7.4<br />
おっ、所沢。通り過ぎたのは十数年ぶりでしょう。あっちに行けば、航空公園か。近いうちにBBQに誘われている家があるところです。そのまま飯能方面に行くと稲荷山（いなりやま）公園があり、航空自衛隊入間基地が線路沿いに広く広く見渡せました。ここから来ているのかぁ、と３０年近く前から現在に至るまで入れ替わり立ち替わり、ウチのお客さんである隊員さんたちのことが浮かびました。<br />
<br />
「テノール歌手、石川誠二と仲間たち」による目の前で体感するオペラの素晴らしさ！　藤原歌劇団歌手ら総勢５名による大迫力のステージをお贈りします〜の歌い文句に誘われつつ、仲間たちの中に霧島焼酎をこよなく愛する歌姫・園田直美さんが出演することも相まって飯能の手前、西武池袋線元加治駅に着きました。冷房がない会場は１軒家で５０席ほど。座布団の上には団扇が準備され、入場早々ちょこっとイチゴのかき氷が配られ、舞台の合間には冷たい麦茶が用意されるという心遣い。石川さんの解説付きに、オペラの世界に足の小指くらい突っ込んだ気持ちになりました。<br />
<br />
節電節電。涼しく過ごすには電気を使わなくても先ほどの例が節電のひとつともいえるでしょう。『みやこんじょ』での節電は、明かりです。まず、震災以来、廊下の店の前の共有電気は消しています。奥の方も消そうとは思うのですが、他の店に失礼かなと自分とこの分だけでも暗くなっています。<br />
<br />
あとは、店内ですね。７月２日（土）LEDに交換しました。約６割の電気代がカット出来るし、電球も１０年は持つといいます。しかし、『みやこんじょ』６９０，０００円、『みやこんじょ２』１７０，０００円と高価な「節電投資」<br />
になりました。電球交換だけだったらそれほど高くはなかったのですが、調光器を使うことで別途工事代もかかったのです。同じ業者から自宅をLEDに交換してもらったら７０，０００円くらいでした。<br />
<br />
節電の声は、本格な夏を迎えるこれからどんどん大きくなることでしょう。請求書を見比べながら節電効果を報告したいと思います。]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2211</comments>
 <pubDate>Mon, 4 Jul 2011 08:45:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>No.663　『今時の写真事情』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2210</link>
<description><![CDATA[2011.6.27<br />
『みやこんじょ』の壁に写真を貼っていたのはもう２年前になります。今でもあの感じがよかったと言ってもらいます。反面、そんな雰囲気のお店だったの？　と聞かれることもしばしばです。もしかしたら、もう半分以上のお客さんが昔の『みやこんじょ』を知らないかもしれません。でも、壁には貼らないまでも今でも写真を撮り続けて人数分焼き増しして郵送し続けています。<br />
<br />
ボーっとしていると、今日現在みたいに６月２１日分からの宛名書きが手つかずの時もあります。そんな時は、今週中に前日分までを書き終えるように調整します。まだ写真が届かないので宛名を書いていても送れないという事情もあります。それが、今時の写真プリントにあります。届かないって？<br />
<br />
昔は、「カメラのさくらや」で１０本入り３６本フィルムを買って、撮れたフィルムをDPEコーナーに持ち込み、出来上がった頃合いに再び店に行って、そこで誕生会のひとり写真は１枚、三人写っていると壁に貼る分も入れて４枚とネガに数字を書き込んでまた注文します。焼き増し分まで受け取るのに午前から午後にかけての半日がかりの作業でした。そして、半年すると壁一面を写真２０００枚が覆い尽くします。<br />
<br />
そのうち、撮り終えたフィルムを持ち込んだ時に、ひとりの写真は１枚、ふたり以上は人数分＋壁に貼る１枚を焼き増しするようにお願いしました。最初は怪訝な顔をされましたが、毎日のように通うともうお店のひとも慣れたもんです。『みやこんじょ』のお客さんになってくれました。１枚約３０円の時代です。写真代が１５万円くらいかかった時代です。<br />
<br />
やがて「カメラのさくらや」もなくなり、『みやこんじょ』でプリントするようになりました。プリンターを４台買い込んで、プリンターが使い過ぎで壊れないようにしました。それでも壊れて２台、３台と追機を購入しました。プリンターは安いもののインク代が馬鹿にならず、用紙も準備しました。１枚約２０円、月１０万円かかりました。店でお客さんのいる間に写真はできあがりました。でも、ひと手間、その場で渡さず郵送しました。<br />
<br />
そして、今。次男坊がヨーロッパバックパック旅行から帰ってきて利用したのがネットでの写真プリントでした。<br />
WOW、画期的！　一番安いプリントで５０枚以上だとメール便で１週間近くかかるものの送料無料で、なんと１枚５円。届くのに１週間近くかかるので、昨日の分の宛名を書いても写真が届かなくて送れない、となるのです。画像は素人目ではそんなに悪いとも思えません。１ヶ月１万円ほど。海外旅行の今昔みたいな価格破壊。１００年色褪（あ）せない写真プリントを売りの写真がありましたが、今の『みやこんじょ』写真だといつか消えるかも。そう願うお客さんもいたりして・・・。<br />
]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2210</comments>
 <pubDate>Mon, 27 Jun 2011 08:41:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>No.662　『気になる人間ドック』</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=20&amp;itemid=2209</link>
<description><![CDATA[2011.6.20<br />
昨夜、６月１９日（日）TBS系夜１１時４０分からの「ホンネ日和」観ましたぁ？　久しぶりにしっかりと『みやこんじょ』が映っていました。東国原英夫さんと森永卓郎さんの話もさることながら、カウンターの後ろの客席に座っているお客さん、料理・ドリンクを運ぶのに会話の後ろをウロチョロするスズカ・ナカニシ・ユーキ、カウンターの中でドリンクを作っているケータローの露出の多さに目を奪われてしまいました。<br />
<br />
森永卓郎さんが東さんにエールを送るべく、いきなり立ち上がって振り返り客席のお客さんに、東さんを応援しましょうと東さんからの挨拶を引き出し、「フレーフレー東！」と叫んだのはなかなかの盛り上がりとなりました。宮崎でも、心配していた１週間遅れの放送もしくは放送なしという事態を逃れ、無事、東京と同時間にMRT宮崎放送で流れました。あの「フレーフレー東！」という名場面は何回か番組宣伝で流れており、自然と『みやこんじょ』でのロケだとわかったひとも少なくありませんでした。「ホンネ日和」のホームページは放送後には即更新されており、ロケ地としての『みやこんじょ』も写真入りで紹介されています。下記クリックご覧ください。<br />
<br />
http://hicbc.com/tv/honne/index.htm<br />
<br />
無事放送されたことで、先週の帰郷報告を。水・木は、近頃温泉で２回倒れたという８０歳になる母ちゃんと２４歳になる息子との３世代にわたる都城での人間ドック入りでした。計１８３，０００円。木曜日は１４時過ぎにえびの市に行き、コカコーラ工場見学・飲み放題試飲。といっても２本も飲めませんでした。真の幸せ、真幸（まさき）中学校を訪問。校長の奥さんのおいしい手料理で満腹、京町温泉のホテルで雨降り続く中、眠りにつきました。<br />
<br />
土曜日は、宮崎の赤江で１０年近く前にバイトしてくれていたオカベさんの結婚式。夜は２０年ぶりに会うであろうスズキさんと再会。雨は降り続けるのでありました。日曜日は、また都城に帰って正午から夜にかけてBBQ。その間、曇り／小雨／土砂降りと庇の下で炭を赤くしながら話は続きました。<br />
<br />
今なお「くすぶり」続けているものがあります。人間ドックでの結果。残りふたりは、これといった異常は見つからずめでたしめでたし。ワタクシには影が。大腸検査の時、おケツの穴からカメラをグイグイ入れられながらも映像を見られます。明日は、鼻からの胃カメラなのですが、口からのほうがカメラが大きくて画像がよく見えるとのことだったので、口からに換えてもらいました。去年の鼻からに比べて、カメラを入れた途端にオエッ。苦しい思いをしながらカメラがグリグリ進んで行きます。<br />
<br />
結果、カメラが大きいことで鮮明な画像を見ることができて食道に「気になるもの」を発見できました。昨年、５０歳を過ぎたら癌の発症率も高いということでがん保険に入ったばかり。ここはえいっ！初期で治るもんなら「がん」と診断してくれ。「がん」と診断されたら即３００万円！そんな保険です。<br />
<br />
●みやこんじょ２<br />
http://www.miyakonjo.co.jp/miyakonjo2.htm<br />
●みやこんじょ日経レストランDM大賞グランプリ受賞<br />
http://nr.nikkeibp.co.jp/topics/20091112/<br />
●宮日ＴＯＫＹＯ編集局<br />
http://www.miyakonjo.co.jp/image/miyanichi20101224.JPG<br />
●やまがらしげとさんブログ『キミとボク』キャンペーン第一弾：みやこんじょ<br />
http://bit.ly/fDiXqM<br />
●映画『キミとボク』公式サイト<br />
http://kimiboku-movie.com/<br />
]]></description>
 <category>Ｗｅｅｋｌｙ　みやこんじょ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2209</comments>
 <pubDate>Mon, 20 Jun 2011 08:41:00 +0900</pubDate>
</item>
    <item>
 <title>復活です！</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=131&amp;itemid=2223</link>
<description><![CDATA[　約二ヶ月半のご無沙汰でした。<br />
やっとブログを書き込まれるようになりまいた。<br />
<br />
そして９月１日から全てを一新し、ブログもホームページも下記のように<br />
変更します。　入り口の　ayasilk.com は変わりません。<br />
どうぞよろしく。<br />
<br />
URLは一部準備中ですが、追々充実させてまいります。私のブログも９月からは　ここからお入り下さい。<br />
<br />
<a href="http://east.tegelog.jp/index.php?catid=879&amp;blogid=99">http://east.tegelog.jp/index.php?catid=879&blogid=99</a><br />
<br />
さてこのブログからの最後の写真は天蚕です。<br />
白い蚕が終わったら、緑色の天蚕を養いました。<br />
どうです綺麗な色でしょう。<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110830-dc0814114.jpg">null</a><br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110830-dc0814122.jpg">null</a><br />
イヤー失礼しました、虫の苦手な方もいらっしゃるのに。m(_ _)m<br />
<br />
<br />
同じ場所で繭を掛けるとこの様になります。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110830-dc0814110.jpg">null</a><br />
<br />
このような繭でハイブリッドの細い糸を手引きし、<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110830-dc0814133.jpg">null</a><br />
羽衣の布を織り上げます。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110830-DSC_1126.jpg">null</a><br />
<br />
次回からは新しいブログでお待ちしています。<br />
<br />
ハンドルネームもダレヤミから theyodakinbo（ザヨダキンボ）に変更です。]]></description>
 <category>よだきんぼのダレヤミ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2223</comments>
 <pubDate>Tue, 30 Aug 2011 20:32:26 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>カイコで　てんてこ舞い</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=131&amp;itemid=2185</link>
<description><![CDATA[　養蚕の季節で昼も夜もなく振り回されています。<br />
詳しくは綾工芸コミュニティ（http://aya-craft.jp/　匠日記）のブログに岡田心平君が詳しく説明ていますが、成長過程を少しだけ。<br />
<br />
成蚕養殖棚も<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4287.jpg">null</a><br />
営繭の上蔟場も準備完了<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110604-IMG_4290.jpg">null</a><br />
<br />
３齢の蚕を５齢まで育ててゆきます。<br />
<br />
　<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4327.jpg">null</a><br />
蚕のウィルス感染予防に石灰をまき乾燥させる。<br />
<br />
しかし梅雨時の今は刈り取ってくる桑の葉も濡れているので、扇風機で雨を乾かす。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4366.jpg">null</a>　　<br />
桑を与えて、与えて　<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1534.jpg">null</a><br />
<br />
食べ尽くした桑の残渣はこのように丁寧に取り出す。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4323.jpg">null</a><br />
<br />
４齢こんなに大きくなりました。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1552.jpg">null</a><br />
<br />
いよいよ５齢、桑を食べる音がきこえますよ。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1562.jpg">null</a>　<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1559.jpg">null</a><br />
<br />
糸をはき出すサインは少しずんどうになって体が透き通るようになります。それを１頭ずつ拾って蚕のアパート（まぶし）に移し<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1565.jpg">null</a>　<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-DSC_1570.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
その中に繭を作ってゆきます。　自分で我が家をさがし回り、あと５日で完全な繭になり、そして糸に紡いでゆきます。<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4377.jpg">null</a>　<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110603-IMG_4375.jpg">null</a><br />
良い糸を作ってくれよ。<br />
]]></description>
 <category>よだきんぼのダレヤミ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2185</comments>
 <pubDate>Fri, 3 Jun 2011 22:44:48 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>久し振り・・・・・です</title>
 <link>http://miyazaki.ch/contents/?catid=131&amp;itemid=2176</link>
<description><![CDATA[　ブログというのは一度怠け出すと中々億劫になります。<br />
これは私だけのよくない性格でしょうが。．．．どうしてもそうなる。<br />
<br />
フランスでの国際貝紫会議に行ったのも５週間前だし、<br />
（この時から怠けが始まった）<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110520-dc051827s-.jpg">null</a>　　<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110520-dc051857s-.jpg">null</a><br />
<br />
我が家の小梅ちぎりも３週間前に終わったし、<br />
（綾ツアーが今回ないので処理するのに困ったくらい実った、<br />
　藍祭りで来客に販売して、全額地震援助に寄付しましたヨ）<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110520-IMG_4264s-.jpg">null</a><br />
<br />
<br />
そうこうしている間に養蚕の時期に突入・・・・・。<br />
その写真も掃き立て（卵から孵化する時）から記録を残そうと<br />
思いながら、シャッターチャンスを逃して、今日はもう４齢に。<br />
こらから旺盛な食欲で桑を食べ、一週間後にはまた脱皮して５齢になります。<br />
今はまだ小さいが繭を掛ける寸前にはこの　１０倍にも大きくなるのです。<br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110520-IMG_4315s-.jpg">null</a><br />
<br />
<a href="http://miyazaki.ch/contents/media/15/20110520-IMG_4314s-.jpg">null</a><br />
<br />
今期当工房で養っているこの蚕は「蚕技研11号」という<br />
国が開発した品種、小石丸蚕のように藍染めに適しているかの実験種です。<br />
夏にはまた小石丸を養います。<br />
次回は繭を掛け始めた様子を逃さず撮します。<br />
]]></description>
 <category>よだきんぼのダレヤミ</category>
<comments>http://miyazaki.ch/contents/?itemid=2176</comments>
 <pubDate>Fri, 20 May 2011 15:47:19 +0900</pubDate>
</item>
  </channel>
</rss>
