みやざきWEBチャンネル TOP ≫
航宙日誌 ≫ 日々新たなり
Archives
This is the archive for October 2010
まあ、懐が寂しすぎる以外はとても忙しくほどよい疲労感にビールが進む毎日。
19日にメモリアルコンペの筋肉痛も、今回はあまり感じることもなく、翌朝宮崎へ。
全日空のターミナルは増築され新しくなっていた。
いつも通り雲を撮影しようかと思っていたら、結局はかなり厚い雲の中をずっと飛行していてたいした写真は撮れなかった。
到着後着替えて、お客様へ最終提案に同行。雰囲気もよく話を終えた。今月中には結論が出るようだ。その後お昼は控えて、夕方の検診にそなえる。
検診は朝から行くよりもずいぶんスムーズで、早く終わった。結果もすこぶるとは言えないがほぼ良好。体重を減らすこと以外問題なし。
翌21日は宮崎県の農商工連携セミナーに参加。3名の事例発表者の講演を拝聴。ためになった。参加者の意識も高く、よいセミナーだ。
22日は来客が続いた。お昼は久しぶりに源藤交差点近く「和(なごみ)」にてチキンカツを食す。ほんとうにここのチキンカツはうまい。
母校の同窓会事務局の回線を当社でご注文いただき、今日の午後開通なので、接続設定をしに同窓会事務局へ。ところが、工事会社が勘違いかなかなか来ず、その間、久しぶりに校舎をなどを見て回る。若干生徒たちに不振がられながら、久々の母校の姿を昔の姿を重ね合わせてみる。あそこらで弁当食っていたなあ、とかあそこであこがれの人と話をしたなあ、などと思いだす。
はたして業者は来ないので一旦顧客との打ち合わせに出かける。1時間後戻り、設定作業をおこなうが、ウイルス対策がちゃんとされていないのに驚く。動作も少し怪しかったので出来る限りの整備をおこなった。
23日は野菜ソムリエCanacoさんがツアーを組んで来県。彼女はあるお店のプロデュースから宮崎に来るようになり、以来すっかり宮崎ファンである。今回は総勢9名のツアーで、タイトルは仮称が「綾の野菜とGoGoGoを楽しむ会」であったが、どうもミステリーツアーに近い状態らしく、メンバーはなにも知らないまま到着。女性8名男性1名といういびつなバランスのツアーが始まる。雨の予測が曇り、あとでは晴れ間も見れた。Canacoさんの晴れ女伝説が再び。他にも晴れ女、晴れ男が1名ずついたので強力だ。
私の車とレンタカーで、まず鵜戸神宮に。途中、シャンシャン茶屋で海を見ながらの昼食はチキン南蛮など。運玉を投げて楽しみ、すぐに引き返して青島でういろうを購入。
シーガイアにチェックインして、またまたすぐに綾町へ。
綾わくわくファームにてソーセージ作り体験後、食事会が始まる。東京の方々には新鮮に映る自然一杯の綾町。わけあいあいの宴会は進む。途中、なぜか男性が毛深くなり驚いた。
その後GoGoGoへ向かう。代行運転の車はニシタチへ。GoGoGoには7名が参加。2名は違う店にというので案内するも、結局自分の行きつけのととやに拉致。地鶏を食べてもらった。
その後GoGoGoへ合流。マスターのパフォーマンスにみんなハイテンション状態。
混んでいたこともあって、途中でスナックVへ。ここも大盛り上がり。
その後は小生も記憶が定かでない。
翌日は綾わくわくファームの農商工連携IT化セミナー。
講師の一番バッター。遅刻はしなかったが、なんとなく舌が思い。飲み過ぎなのは間違いない。説明にも切れがない。とはいいながら、担当終わり、その後のセミナーも拝聴しながら、夕方頃にようやくしゃんとしてきた。このセミナーの自分の責任部分は今日で無事終わり。よかった。
翌日は打ち合わせや事務処理、客先訪問等あり、15時くらいにだいたい片付いたので、Canacoさんツアーに合流。雨の西都原にて。コスモスは咲き誇っていたが残念ながら強い雨にずいぶんと倒されていた。博物館に行こうと思ったが、残念ながら定休日。
途中のスーパーに寄り、県庁を見ながら空港へ。空港のレストランで東京での再会を約束して、別れた。
ご本人達が弾丸ツアーと呼んでいたが、まさに弾丸。ちなみにその前日は高千穂に車で日帰りを敢行。すごい行動力だ。
昨日と今日は会社の新規事業開発について熟考している。なんとなくカタチは見えてきた。がんばろう。
昨日は平日ながらゴルフコンペに参加した。昨年亡くなられた杉尾栄俊さんを偲ぶ、メモリアルコンペ。20組という大きなコンペだった。私は一昨年頃より、杉尾さんに紹介され月1回の勉強会的な食事会に招かれるようになった。70歳を超えていらっしゃるのに、とてもお元気で、頭の回転はすばらしく、機知に富みユーモアあふれる話をたくさんされる方だった。子供より若い私の話もしっかりと聞いて理解をしてくれた上で数々の助言をいただいた。
また、いろいろな方をご紹介もいただいた。
杉尾さんのお人柄を偲ばせる数多くの方がこのコンペに参加され、杉尾さんを思い出しながら懐かしい話を語り合いながらのゴルフであった。
会場は成田近くの京カントリークラブ。とても20年ほど経過したようなクラブハウスには見えない。コースもフェアウェイがかなり変化に富んでいたがおもしろいコースだった。(写真のようなフェアウェイ、初めて見た)見事にフェアウェイなどに潜む罠にはまったが、そのたびに「やったね!」とにやりとされる杉尾さんの顔が浮かんだ。
杉尾さんはゴルフコースをたくさん開発された。ご本人もゴルフが大好きだったそうだ。昨年も何度もプレイされていたと聞いている。残念ながら一緒に回ることはかなわなかった。宮崎に行ってゴルフをしたいね、とよく言われていた。
品川のアメリカンクラブで食事をしながら、アメリカはダメな国だよと大声で話をされていたのが懐かしい。甘いものもお好きでチョコレートをこっそり食べたりされていた。
昨日のコンペのパーティ会場には、杉尾さんの写真が飾られ、その前にどら焼きとアンパンが供えてあった。杉尾さんの若い時の写真はその時代の最先端のファッションに身を包みとてもかっこよく、無理な話だが、その頃の杉尾さんに会ってみたかった。
記念品として、杉尾さんの写真が入ったマーカーをいただいた。これはとてもうれしかった。一生大事にしたい、というよりずっと使おうと思う。少しはへたくそなゴルフがうまくなるかもしれない。
先週の土曜日はロータリークラブの地区大会で鹿児島へ。午前中用事があり、同じく診察がある歯科医のYさんと一緒に途中から参加することにしていた。Yさんの車で鹿児島へ。助手席は気楽なものだ。運転する立場では、日ごろ見えない景色が見えてくる。
鹿児島の市民文化ホールに到着。なんとか本会議に間に合った。その後特別講演で茂木健一郎氏の話を聞いた。とにかく、面白かった。脳科学者ということであったが、国というもの、教育の問題と幅広く話を聞いた。最後にどうしたらボケないのかという質問があり、それには、とにかく自分でなんでもやること、だそうだ。会社や団体のエライ人が、お茶の手配や切符の手配など自分でやらなくなるのはボケまっしぐらなんだそうだ。
ホテルにチェックイン後、宮崎クラブの懇親会。泊まりがけであるので、みんな飲みっぷり、はしゃぎっぷりが違う。あぢもりという黒豚しゃぶしゃぶの店。この数年、当クラブはここばかり使っている。
配膳されたばかりなのにすぐにおかわりを頼み、ご満悦のGさん。
バラ肉がとてもおいしかった。バラの花のような盛り方。
その後、ミスサントリーという楽しいスナックへ。
またまた手品をしてしまう。
その後、どこに行こうかと歩いていると、客引きのおじさん(というよりおじいさん)。とにかく詳しそう。ここは覚悟を決めて、どこがおススメ?と聞いてみると、あるスナックを紹介された。これが大成功。このおじさん、帰り道にもあったが、名刺をいただいた。天文館のナビゲーターという肩書き。すごい。
よく言われてきた言葉、適材適所。
人間が成長するためにはいろいろな経験をしたほうがよい、そう思う反面、やっぱり向かないか、異動させるべきか、と思うことも多かった。
事業の推進は簡単ではない。でも、勢いは必ず必要だ。どんな会社でも勢いがあるときはどんどん伸びると思っている。当社はどうだ?社員が悪いとかそういうことではない。船長である自分のかじ取りがすべてである。
当社はあっという間に15期を終えた。もう若い会社ではない。次の10年を見極めていかないといけない。自分もあとどれくらい一線でいられるかは常に確認していくべきだ。
大きな変革をもたらすことが必要と思っている。
じっくりとかつ速やかに考え実行したい。
とひとりごつ。
さて、昨日の夕方、片仮名のキのような雲を見た。しかもそれが太陽ににじんで(?)七色というかシャボン玉のにじみのような色合いになっていて驚いた。
雲を撮り始めて、驚かされることが多い。
こんな感じだ。
虹色が見えるだろうか。
ズームして撮影。
昨日は農商工連携IT化セミナーという、国の事業による人材育成セミナーのお手伝いをした。ITの業界の人間がなぜ、農商工かというと、実際、出口のところでITを使う場合が多く、これまでホームページの制作やECサイトの構築で農業関係者や食品関係者とのお付き合いがあった。
それと、自分自身、祖父までは農家であり、幼いころ両親の元を離れ祖父母と一緒に暮らしていたことから農業に対する畏敬の念は相当ある。何もない土から野菜や花ができる状況を物心ついた頃に目の当たりにしてきた。祖父は特に研究熱心でいろいろな作物を手がけていたので余計にそう感じていた。
このセミナー、定員30名だが熱意のある方が多く35名ほど受講されている。遠くは高千穂や串間から毎回通ってこられている。
みんな具体的な課題を持って参加しており、毎回、コミュニケーションが活発化している。
農商工連携という言葉は一般的にはまだまだ浸透していないが、私は大きな転換期を迎えている一つの端緒であると考えている。気候の異常を含め大きな環境の変化を迎えていると同時に、ITによる産業構造の変化、そして人の生き方まで大きな変化を見せている。昔、IT革命という言葉があった。ある方がIT革命は1,2年のことではない、100年続くと言われていた。ITの急速な発展、インフラの拡大、新しい技術の登場により、大きく人の思考パターン、情報の入手発信の変化が見られている。
私の机の上は書類の山だ。必要なもの、必要でないもの混在。必要なものもきちんと収納するのが下手だし、引き出しもない状況なのでちらばっている。それが次第に、PFUのSCANSNAPにより電子化されつつある。名刺はすべてPCに入ってしまった。
そして、これらの情報はパソコンからクラウド空間へ移される予定である。そうすると会社に居なくてもどこでも仕事ができるような気がしている。
しかも書類だけでなく、写真や音声、動画などもまとめていくことができそうである。
当社は今月、リモートオンラインバックアップサービスを正式にサービスインするが、これも一種のクラウドファイル倉庫であり、事務所の火事や盗難、パソコンやサーバーのクラッシュ等からデータの保存、保全という意味合いで有用なサービスになると信じている。
さて、農商工連携は農業だけでなく商業、工業を含め新しい産業となると確信している。その手ごたえは十分にある。間もなく当社にも農商工連携をサポートする事業組織を作る予定である。大きな変革時期であったIT業界。時代の波に乗り切れなかった自分への自戒も含めて、今度は一歩先に走ろうと思っている。大きな変革という波にぐぐっと手をかいて乗ってしまおうと。
自分が宮崎出身だからそう思うのかもしれないが、宮崎出身で各界で活躍している方が多いような気がする。(古く、東征により有能な男は神武天皇により宮崎を離れたはずだが、、、、、)
そのうちのお一人に一昨日会った。やまがらしげとさん。宮崎市出身で川越市在住。グラフィックデザイナーで活躍中だが、彼のフラッシュアニメーション作品が有名。タイトルは「キミとボク」といい、ずっと以前に亡くなったすぐ下の弟に教わって見たことが会った。
やまがらさんのサイト
http://universal-radio.jp/animation/kimiboku/index.php
猫と飼い主のやまがらさんの物語なのだが、涙がこみ上げてくる。
自分も学生時代に猫と暮らしていたことがあり、その猫との生活を思い出すと精神的にずいぶんと支えてくれたような気がするので、余計に感じ入ってしまう。
生き物だから死という別れは必ずあるのだが、割り切れないものである。
やまがらさんから突然ツイッターでメッセージが届いた。私をフォローしてくれていて、かつ、ブログも見てくれているらしい。ちょっとしたやりとりを経て、新宿みやこんじょで会うことに。
なかなかの好青年。風貌はあえて語らないが、個人的な印象は、憂歌団のボーカルの木村かも。「僕も徹さんと呼ぶんでしげちゃんと呼んで下さい」と気さくなアーティストだ。
彼の作品は本になっている。小池書院から出ているが、この小池書院、劇画の小池一夫氏の出版社らしい。また、萩尾望都さんがこのキミとボクのファンなのだそうだ。
ナイーブな感覚をうまかう隠した人のいい好青年は、今後も大活躍するにちがいない。
|