2011.6.6
石巻に行ったのが5月1日(日)でした。6月1日(水)となれば血が騒ぐ。ちょうど1ヶ月です。単独で行くとなると被災地に知り合いがいないとなにかと不便・不案内です。そこで、誰かいないかなと思いきや、いたぁぁぁ。仙台です。仙台は石巻に行った時に、牛たんを食べに仙台駅構内の「牛たん通り」の「利休」という有名店に立ち寄りました。
今回出迎えに来てくれたのがアキラさんでした。東京に住んでいたことがあり、何年か前にはふと『みやこんじょ』に行きたくなったと高速を飛ばして、閉店間際に奥さんとともにチキン南蛮を食べに来てくれました。そんなアキラさんと会ったのがちょうど昼過ぎだったので、着いたその日、6月1日に「牛たん通り」の奥に復活したばかりの「すし通り」にある寿司屋さんに案内されました。
顔見知りらしく、板さんたちに隊長と呼ばれながらカウンター席に座ると情報交換が始まる。「大丈夫だったかい?」「ええ、どうにか」「目の前にあるあのビルは取り壊すよ」「へぇ、そうなんだ」・・・。地元のことでも知らないこともいっぱいあり、ここでの新たな情報がまた次のひとへ語られて行く。他所(よそ)もんである自分も地元の人間のように頷(うなず)いていました。
おいしい握りと名産・フカヒレ握りをおいしくいただいてから地元新聞社の河北新報社へ。皆さんが『みやこんじょ』で使っていただいた中から100,000円を届けに行きました。それから若林区を中心とした被災地を見てきました。彼が小さい頃、海水浴に来ていた浜辺の木々がずっと離れた、車を走らせている道路のところまで至る所に根こそぎ流されていました。寿司と流木・瓦礫(がれき)、雲泥の差です。
気を取り直して、夕方から泉区にある泉ヶ岳の温泉へ。そのあと、歓楽街「国分町(こくぶんちょう)」での勉強会です。牛たん発祥の店といわれる「太助」ではその厚さと準備されている焼き場の近くの牛たんの多さに驚く。地元の居酒屋として彼の友達の弟が経営している「みちのく郷土料理・河童亭」へ。地元話で盛り上がる。いいなぁ、来たぞ、仙台って感じがバッチリでした。
日頃不義理しているひとたちには、地元デパート「藤崎」で九州向けに万単位でお土産を買い込み、発送しました。
被災地を見舞いつつも、地元の温泉につかり、おいしいものをいただく。そして、見たこともないような独特のお土産を買って帰る、「次」を考えています。