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This is the archive for January 2008
昨日は午前中の便で東京から帰って来て、夕方のパーティーの司会の仕事というちょっとハードなスケジュールでした。
昨日のパーティー。それは、去年鳥取県で行なわれた「第9回全国和牛共進会」で、宮崎牛がチャンピオンになったその祝賀の会でした。
全国和牛共進会は5年に1度行なわれる「和牛のオリンピック」で、今回は全国38道府県から出品がありました。9つの部門、例えば種牛(しゅぎゅうと読みます)、肉牛、母体になる雌牛など、9つの部門があり、宮崎牛はなんとその7部門で主席を獲得。さらに特別賞までも宮崎牛がほぼ独占してしまったのです。惜しくも主席を逃した牛もすべて2席・3席には入賞しており、名実ともに宮崎牛が日本一であることが証明されたわけです。
5年前に開催された同じ共進会では宮崎牛は最高2席だったそうです。それから5年間、とにかく主席を取ろうと生産者や関係者が一致団結して、えさの改良をしたり牛舎の環境を整えたり、交配を工夫したり、そして我が子よりも手をかけ愛情をかけて出品牛を育ててきたそうです。審査のポイントとしては、発育の良さや出産に適した骨格や体型をしているか、MRIのような体内を見られる映像での脂肪ののり具合など。出品者は牛に人間用のシャンプーとリンスをしてあげて共進会に臨みました。
パーティー会場では共進会のもようが映像で流されました。成績発表の場面ではほとんどの部門の主席に「宮崎牛」の名前が読み上げられます。出品者の皆さんがお互い肩を抱き合って喜び、感激の涙を流す場面が写し出されました。宮崎人としては鼻高々、本当に胸のすく思いがしました。
実際に会場に行かれた方に聞いてみると「出品牛を見た瞬間、今年は宮崎牛が優勝だね」「宮崎牛に負けるのはしようがないね」という各県の代表の反応だったそうです。特別賞も当然のように宮崎牛が選ばれたのです。
9部門中7部門という独占状態で1つの産地牛が優勝をしたことは初めてだそうです。
出品者の皆さんはこの結果に満足することなく、5年後の共進会では9部門すべて主席を獲得する完全優勝に意欲を燃やしています。まだ誰も達成したことのない偉業へ向けてますます頑張って欲しいものです。
高千穂佐藤さんの日本一牛「ふくみつ」号
さすが立派な風格です
たった今、親知らずを抜いて来ました。体験のフレッシュなうちににっきに書き留めておこうと思います。
これまでに上顎の親知らずは2本とも抜いており、後は下の2本のみとなっていました。しかし、多くの人がそうであるように生え方がヘンで半分しか出てなかったり真横になっていたりして、抜くのはなかなかやっかいでした。数年前歯医者さんに「絶対に歯ブラシが届かないからどんなに気をつけていても遅かれ早かれ虫歯になります。そしたら抜きましょう」と言われていました。予言通り1年ほど前から虫歯になっていてずっと気になっていたので、思い切って抜くことにしました。
しかし、親知らずを抜くと顔が3日は腫れるということなので、向こう3日間仕事が入っていないという時を決めるのが大変でした。明日から東京出張をからめて妹のところに遊びに行くことになっており、本番は4日後なので、今日がチャンスでした。
今朝「ああ、今日は親知らずを抜く日だー」と憂鬱な気分で目覚めました。歯医者さんの予約の2時が近づくにつれて恐怖が高まって来ました。
歯医者さんではすぐに名前が呼ばれ、先生が今日の抜歯(先生は手術と表現)の手順について説明してくれました。そして先に痛み止めと抗生物質のお薬を飲んでからレントゲンの撮影。
麻酔はかなりたっぷりだったと思います。もうこの時の私の心臓のドキドキはピーク。呼吸さえ短くハアハアとなっていました。意外と私って気が小さいんだな。
私の歯は根っこが広がっているらしく、2つに分割して抜くことに。「ウィーン」という嫌な音のする例のドリルで歯が切断されていきます(見えないけどそんな感触)。時々力を入れてぎこぎこされるのもわかります。麻酔はたっぷり効いているので痛みは無いんですが、ずっと開けっ放しにしているあごが痛くて、そちらの方が気になりました。
先生が額に汗をかきかき作業することおよそ15分。かすかな「めりめり」という音とともにようやく長年ともに生きてきた親知らず(右下)に別れを告げました。抜けた歯を写真に撮ろうと思ったんですが歯茎に埋まっていた部分が真っ赤であまりにグロテスクだったのでそれはやめました。代わりにしっかり目に焼き付けた私でした。
抜歯のあと、アイスノンで15分間冷やしました。少しは腫れを抑えることが出来るのだそうです。ただし、あまりに冷やしすぎると血液の循環が悪くなり、傷口がふさがらないので2〜3時間を限度にすると良いそうです。
今はまだ麻酔でしびれているので痛みはありません。しかし、抜歯後2〜3時間経つとずきずきしてきて腫れも出てくるそうです。腫れは今夜がピークということですが、なんとか日曜日の東京での宮崎フェアイベントまでに普通の顔に戻りたいものです。
ところで、先生が途中何回も「痛くないですか?」っておっっしゃるんです。口を開けている状態でどうやって答えればいいんでしょう?ご存じの方教えて下さい。
ただ今冷えぴたシートで冷やし中
昨日の夜、宮崎市民吹奏楽団の23回目の定期演奏会の司会をさせていただきました。
第1部と第2部の構成で、私の出番は第2部から。
「吹奏楽 de ワールドツアー」と題し、宮崎檍地区に伝わる子守歌を
吹奏楽にアレンジした『3月桜の咲く頃で』で、宮崎を出発。
韓国、ハンガリー、オーストリア、アメリカなどの代表的な曲を演奏しました。曲の合間には私がナレーションでその国の歴史的背景や音楽文化などを紹介。観客の皆さんには音楽を聴きながらその国々を旅しているような気持ちになってもらうという趣向でした。
この宮崎市民吹奏楽団には県内のアマチュアの音楽家60数名が所属しています。指揮者の三原先生を中心にいろいろな職業を持つ方々が集まっています。数年前は人数もかなり減って低迷しましたが、ここ最近は九州大会で銀賞・金賞を取るなどめきめきと力をつけてきています。昨日の演奏会にも、アマチュアの演奏家としては上出来のおよそ900人のお客さまが来て下さいました。
定演の大成功を受けてその後の打ち上げも大変な盛り上がりでした。これまで何十時間もの練習を重ねて来る間、メンバーの皆さんは恐らく個人的なおつきあいはかなり犠牲にして来られたのでしょう。それはそれは、おいしそうに飲み、食べ、演奏会の出来について感想を述べあい、笑いあい・・・。
次の全国コンクールは沖縄で開かれるということで、今度は全国大会出場を目標に練習に励んでいかれるとのこと。もっともっと宮崎に吹奏楽の魅力を伝えていただくため、さらに音楽への情熱を燃やして下さいね!応援しています。
先日の13日日曜日は、仲の良い後輩の結婚式で、私が司会をさせてもらいました。
後輩は女性カメラマンで、しょっちゅう一緒に仕事をしています。彼の方もカメラマンで、以前いた会社の同僚です。結婚することが決まった時から披露宴について相談を受けて来て、なんだか一緒に作り上げたような気がしていました。
今回はチャペル挙式にも参加させてもらいました。後輩はちっちゃいながらもパワフルなカメラマンとして有名で、その仕事ぶりからはウエディングドレス姿なんて想像もつかなかったのですが・・・(失礼!)チャペルの扉が開いて真っ白なドレスをまとって現れたその姿は紛れもなく初々しい花嫁さんでした。途端に私は目頭が熱くなってしまいました。
まるで母親のような気持ちで挙式を見守りました。
その後披露宴が始まりましたが、さすが新郎新婦ともプロのカメラマン。映像を駆使した面白い披露宴でした。また、同僚の皆さんも見応えのあるビデオレターを作ってくれて、披露宴に華と笑いをもたらしてくれました。
みんなから愛されるキャラクターの2人。余興の方も盛りだくさんで、ハワイアンの生演奏あり、フラメンコあり、歌あり、それらをゲストの皆さんもノリノリで盛り上げてくれました。
最後まで会場がひとつになった楽しく賑やかで幸せな披露宴でした。
カメラマンとして第一線で活躍している2人。休む間も無くすでに仕事に戻り会社では何事もなかったかのような顔をしていますが、よーく見るとやっぱりなんだか穏やかで、ほのかな幸せ感がにじみ出ています。同じ職業だからこその衝突もあるでしょうが、それ以上にお互いを理解しあえるのだと思います。仕事仲間として、あなた方の幸せのスタートに立ち会った者として、これからも幸せを祈っています。あらためておめでとう。
先日にっきに登場したカルタの子どもたちのとても笑えるエピソードをご紹介します。
2年ほど前、夏休みに私がその子どもたち2人を預かって、宮交シティに遊びに行きました。夏休みのイベントでいろんな種類のワンちゃんやネコちゃんと触れ合えるという催しがあったのです。
午前中、さんざん動物たちと遊び、お昼を宮交シティのレストランで食べることにしました。「今日は愛ちゃんがおごるからネ」と、彼女たちの好きなものを食べさせました。
デザートまで食べてお腹いっぱいになり、いざ会計を済ませようとレジの所に立つと、
お姉ちゃん(当時小学2年生)がダアーーッとこっちに向かって走ってきます。何事かと思ったら、ポシェットに手をかけ
「わたしが払いますっ!!!」って必死の形相で言うんです。
「いいよいいよ、今日は愛ちゃんが払うよ」っていうのに「いいえ、お母さんからお小遣いをもらって来たので!」「私が」「いえ私が」と、
まるで大人同士のやり取りのような押し問答をレジの前で繰り広げてしまいました。
レジの人から見れば、わたしは立派に2人のお母さんです。それなのにこれは何?という表情で見られてしまいました。わたしが「友だちの子どもなんです」と言い訳すると、「ああ、それで!かわいいわねえ」と一緒に笑ってくれました。
必死の彼女をなんとか押しとどめて無事私が払わせてもらいました。さすがに2年生に払わせるわけにはいきませんよね(笑)。
この時、妹の方はまだ幼稚園生でした。子ども2人で親戚でもない大人と出かけるのは不安だったと思いますが、2年生のお姉ちゃんがいればへっちゃらなんですね。お姉ちゃんもまるでお母さんがわりのように、せっせと妹の世話を焼いていました。
とてもほほえましい2人の姿に、涙が出そうでした。
私も3人姉妹。すでに妹たちは嫁ぎ、新しい家庭を営んでいますが、姉妹の絆は今でも変わりません。私はとっても頼りないお姉ちゃんでしたけど、妹たちもこんな風に私を信頼して頼ってくれてたのかな。
仲良し姉妹の姿に久しぶりに自分たちのかつての姿を重ね合わせ、懐かしい気持ちになった私でした。
今日から子どもたちは学校が始まりましたね。
お父さんお母さんはホッとされているかもしれませんね。
この前の日曜日、大学時代の友だちの子どもに
お年玉がわりに『ことわざカルタ』を持って行きました。
「案ずるより産むが易し」とか「急がば回れ」などのことわざを楽しみながら覚えられるというものです。
友だちの子どもは小学4年生と小学1年生のいずれも女の子。
1年生の妹はやっと字が読めるようになったばかりなのにことわざはちょっとキツイかな、と思ったんですが、あにはからんや、2回戦中2回とも優勝でした。
もっと驚いたのは、その1年生が2回カルタをした後に、絵を見ただけでそのカードが示すことわざを言うことが出来たことです。
子どもの脳は本当にスポンジのようにどんどん知識を吸収するんだなあと
思いました。
その後、普通のカルタ取りは飽きてしまい、子どもたちの提案で
カルタを使っての言葉遊びをすることになりました。
4年生のお姉ちゃんは「誰かが出題者になり、出題者が言った人の名前の文字を誰が一番多く取れるか」と提案してきました。
その子が最初の出題者になったんですが、なんと「ふくだそうり」と
「おざわいちろう」と言いました。
今の大人よりよっぽど政治に関心があるようです。
1年生の方は次に「出題者が頭に思った言葉のカルタを取って行き、
他の人たちがその言葉を推測して当てる」遊びを提案してきました。
これもなかなか面白く、頭の体操になりました。
カルタの44枚のカードで、それこそ何時間も遊ぶことが出来ました。
それも1通りの遊び方ではなく、いくつも考え出して新鮮に遊ぶことが出来る子どもたちってすごいなあと、改めて感心したのでした。
私の大好きなかわいい子どもたちです。この子たちとのエピソードはまた日を改めて書こうと思います。
今日は家族で指宿に旅行に来ています。
2日間のツアーで、今朝は7時20分発と、朝が苦手な私としてはそれだけで1日のエネルギーの半分を使い果たしてしまいました。
途中、知覧で昼食。大きなレストランに立ち寄りました。ここでサイコーに笑えるネタを発見!鶏の炭火焼きを売っている屋台の看板はなんと「東国原知事推薦!」だって。鹿児島でも知事人気にあやかって商売してるんですね。
昼食後1時間だけですが、特攻記念館を訪れました。学生時代に一度行ったことがあります。その時も数々の遺書を読んで号泣し、ハンカチを持っていなかったため往生した覚えがあります。今日はちゃんとハンカチを持ってるのを確認してから入館。
たまたま30分間の職員の方の解説があり、聞くことにしました。
数々の遺書の中から特徴的なものが紹介されたり、同期の隊員の友情エピソードが紹介されたりしました。最後を締めたのは「特攻隊員として沖縄の海に若い命を散らした彼らは、後世の人々に平和な世の中作りと国の復興を託しました。私たちは彼らの分も含んで、今生を精一杯幸せに暮らしたいものです」という言葉でした。
ツアーはどうしても時間に追われてゆっくり心ゆくまで…というわけにはいきませんが、実りの多い時間でした。
明日はもう宮崎に帰る日です。
明日は指宿から鹿児島市内、フェリーで桜島に渡って帰ります。今からまた温泉入って来ます。
明けましておめでとうございます。
皆さまどのようなお正月を過ごしていらっしゃいますか?
今年も何とぞよろしくお願いいたします。
我が家のお正月の朝は、菩提寺である国富町の萬福寺(まんぷくじ)に行くことから始まります。
萬福寺では、元旦に檀家やその縁のある方が集まって『修正会(しゅしょうえ)』が行なわれます。
その際、『護摩法要』という願掛けの法要や、魔除けをして一年の健康を拝んでいただく『加持』もあります。
みんなで般若心経を唱えたり、お正月からとても改まった気持ちになりました。
天台宗のお寺である萬福寺の住職は妙澄(みょうちょう)尼さんと言います。
萬福寺というと以前は精進料理が有名で、観光バスが来ていました。
実は妙澄尼さんはその観光バスのバスガイドさんで、当時の若い住職に見初められて結婚したそうです。3人の子どもをもうけましたが、
住職が36歳、妙澄尼さんが33歳の時に住職が急逝してしまいます。
妙澄尼さんはそれから一念発起、出家して修行をし、資格を得て、
この萬福寺の住職になられました。
元バスガイドさんだけあって見目麗しく、声も良く通る美しい声の持ち主で、お経を聞くと私たちはいつもうっとりと聞き入ってしまうのです。
ドラマティックな人生を送っていらっしゃいますが、とても明るく前向きな方で、お寺に行くのが楽しいという感覚になります。
有名だった萬福寺の精進料理も途絶えて久しいですが、妙澄尼さんの息子さんの義寛さんが立派に成長されて跡継ぎとして今修行を頑張っています。
息子さんがその精進料理の復活に意欲的で、お寺の庫裏を改築し、
厨房も生まれ変わりました。
順調に行くと来年からは再び萬福寺の精進料理がいただけるようになるそうです。まだ1年かかりますが、今からとても楽しみです。
萬福寺の阿弥陀如来像は国の重要文化財に指定されています。
本物は大切に蔵に収蔵されています。
護摩木と呼ばれるお札に名前と願い事を書き、
お坊さんたちがお経を唱えながら火にくべて
願を掛けてくれます。
古典などに出てくる「加持・祈祷」です。
600巻からなる『大般若心経』の1冊を使い、
1人1人魔除けをしてくれます。
これで1年を無事に過ごせそうです。
萬福寺住職永井妙澄尼さんです。
美人でしょ。はっきり言って、ファンです。
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